2008年05月05日

日光壬生道

日光壬生道は日光街道の小山から、日光例幣使道の楡木を繋ぐ6里の道で、一日で手軽に歩くには手頃な距離だ。

風薫る五月に、たまには上り方向でと、かつて歩いた二つの街道を繋ごうと楡木から歩いてみた。

日光例幣使道で歩いた追分にある碑、「右中山道 左江戸道」
日光例幣使道は倉賀野から中山道だ。

20080504楡木追分s-.jpg  20080504楡木追分碑s-.jpg

道はずっと歩道が完備されていて歩きやすい。

壬生の手前には義経伝説について回る、金売り吉次の墓。
侘しい丸石で、墓は奥州街道の白坂の先にもあり、こちらは吉次三兄弟のものといわれて市指定の史跡にもなっていて立派だった。
どちらの伝承が正しいのか。

20080504金売り吉次墓s-.jpg


壬生にある壬生寺は、慈覚大師円仁の生誕地とされている。
ここに産湯の井戸があるが、例幣使道の犬伏付近にも生誕地があり、同じく産湯の井戸がある。これもどちらの伝承が正しいのか。

20080504慈覚大師井戸s-.jpg


一里塚も木こそ植え替えられているがかなり残存しており、壬生のものは全国で17しかない国指定の一里塚の一つ。

20080504壬生一里塚s-.jpg


楽しみにしていた下野国分寺は、未整備で塔跡などが僅かに基壇となっている。
各地の国分寺や、国分尼寺はどこも整備計画があるようだが、遅々として進んでいないの実情だ。
隣接して国分尼寺もありこちらの方が整備が進んでいるようだが、先を急いだ。

20080504下野国分寺s-.jpg


すぐ傍には伝紫式部の墓。
今年は源氏物語千年紀で姦しいが、ここはひっそりと残されている。
付近の土地は紫といい、これも紫式部にちなんだとか。
しかし、案内板は逆に地名が紫なので、紫式部の墓といわれるようになったとの夢の無い記述がされていた。

20080504紫式部墓s-.jpg


青葉若葉と麦の穂が美しい。麦秋もまもなくだ。

20080504麦畑s-.jpg


日光街道の小山宿と新田宿の間にある、追分から小山駅までの道のりが一度歩いた事があるのに思いのほか長かった。
左日光壬生道、右日光道中。

20080504日光街道追分s-.jpg


posted by 遊戯人 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日光壬生道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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