2008年06月14日

鎌倉街道下道(その4:新橋〜江戸川)

皇居を過ぎて、大手町で将門塚を拝む。
祀られている地番が大手町一丁目一号だ。

何しろ崇徳上皇,菅原道真と並ぶ三大怨霊と言われ伝説、謂れには事欠かない。
公の霊を祀って神田明神が建てられた。

20080614将門塚s-.jpg


すぐ傍のサンケイビルにはリーバーマンのイリアッド・ジャパンの朱色の彫刻があり、向かいの逓信博物館の同じ朱色の清水九兵衛作の陽甲と呼応している、
芸術家同士の、密やかなアイロニーと共感が伺える。

20080614イリアッドs-.jpg


日本橋から浅草までは日光街道と同じなので、歩きを省略する。
白髭橋を渡ると隅田川神社があり、狛犬の代わりに珍しい狛亀が鎮座。狛亀のある神社は都内には他にもあるようだ。

20080614隅田川神社s-.jpg  20080614狛亀s-.jpg


次々と荒川、中川、新中川と渡り、江戸川にたどり着く。
丁度菖蒲園の菖蒲が満開で、街道はまだ北へ続くが、とりあえずの鎌倉街道下道の都内の歩き終わりに花を添えた。

20080614江戸川s-.jpg  20080614菖蒲園s-.jpg

今回は短時間の間に隅田川、荒川、中川、新中川、江戸川と巡る行程だったが、ほかの街道歩きでこのような短時間で多くの川を渡った記憶は無い。

時代の変遷で放水路だったものが本歌を取ったりして河川名の変更は複雑だが、日本有数の低湿地帯であることを図らずも肌で感じるルートだった。


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2008年06月08日

鎌倉街道下道(その3:綱島〜新橋)

都会の中の街道は、風物を楽しみながらの歩き旅にはなり難い。
しかし、僅かに残っている昔の便を目にすることや、近くにありながら一度も立ち寄ったことの無いものに、巡り合う楽しさもある。

綱島には昔の名主の立派な飯田家住宅が、解体修復され動態保存されている。
都会でまだこのような建物が活きた形で使われているの見るのは嬉しいが、住む人も大変な努力が必要だろう。

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この街道で、二つ目の鎌倉街道の碑。日吉のそばの駒が橋。
最近立てられているが、どのような組織が作ったのか。

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武蔵中原手前で、道は丸子橋を過ぎるまで以前歩いた中原街道と重なる。
都内に入ると、大井までは池上を通るルートと、洗足池を通るルートの二つの説がある。
後者はその2/3位が中原街道で、既に踏破済みなので今回は池上ルートを選ぶ。

多摩川を挟んで川崎側には二ヶ領用水、東京側には六郷用水があった。
二ヶ領用水はかなりの部分が残っており、今でも市民に憩いの場を提供しているが、六郷用水は残念ながら殆ど埋め立てられて、緑道や歩道になってしまった。
公園化されて、僅かに残るせせらぎが昔の名残を留めている。

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大森では名前だけは誰でも知っている大森貝塚に立ち寄り、モース博士の功績をしのぶ。
縄文という言葉はモース博士が発掘した土器をCord Marked Pottery と報告したことに由来するということを知る。

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大井からの道は殆ど消失し、大井操車場に沿うしかない。
御殿山を抜けると、再び中原街道で通った尾根道になる。ここは色々史跡や気を引く建物が多く、何度歩いても楽しめる。

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三田を過ぎ、芝公園の醜いプリンスホテルのすぐ傍には丸山古墳。
都心のこんな所に古墳があるとは初めて知り、挨拶に。

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愛宕山を越え、東京駅までは一寸届かずに、西新橋で打ち止めた。
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2008年05月24日

鎌倉街道下道(その2:上大岡〜綱島)

横浜は丘陵の多い地域だが、今回の経路はまさにその通り。

上大岡の先で、初めて旧鎌倉街道の道路標識が現れて、よくある街道による町おこしも関係なさそうな鎌倉街道に、少し陽の目が当たっていた。

20080524鎌倉街道旧道標識s-.jpg


蒔田からは街道は方向を変え、急峻な坂を上る。
これも何故かというと現在の桜木町、横浜駅に繋がる平坦な地域は昔は海だったため。
しかし、山越えをしなくても巻道を取れば良さそうなものだ。
この傾向は、横浜の他の部分でも顕著で、今も昔も旅人は景色の良い尾根道を好む性向は変わらない。

20080524清水丘公園s-.jpg


下ってゆく坂も、石難坂といかにも難儀な名前が付けられている。
保土ヶ谷宿の金沢横町で旧東海道と交差する。
今まで、街道間を繋ぐ街道は歩いたが、交差するのは初めてで、残っている道標も興味深い。

保土ヶ谷宿に沿う道は古町街道とも言われ、鎌倉街道のもう一つの特徴の崖線沿いに続いている。
また、ここは古東海道にも擬せられているらしく、何の説明も無い新しい標識がある。

20080524金沢横町道標s-.jpg  20080524個東海道標識s-.jpg


保土ヶ谷宿の神明社では、珍しい人形流しの池があり、「夏越しの祓」や大晦日の「大祓」でなくてもいつでも祓えると、有難い事が表示されている。早速、積もった穢れを人形に移して祓って来た。

20080524人形流しs-.jpg


横浜と言えば、ランドマークタワー。
その名の通り、尾根沿いの鎌倉街道からよく眼に入り、方向を確かめるのに好都合だ。
綱島街道の一本裏手が、鎌倉街道とは知らず、何となく愛着が湧いてくる。
鶴見川を渡って一区切りとし、今日の旅を終えた。

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2008年05月17日

鎌倉街道下道(その1:鎌倉〜上大岡)

鎌倉街道は鎌倉から高崎方面へ向かう上道、小山方面へ向かう中道、松戸方面へ向かう下道とあるが、いずれも分岐や支道を持ち、消滅している部分も多い。
五街道とは違い、歩くには一筋縄ではいかない街道だ。

しかしあちらこちらで名前を聞き、それにちなんだ故事来歴、地名も多く興味を引く。
身近にある街道にもかかわらず、何となく曖昧さが手を出すのを躊躇させていたが、まずは下道を歩いてみることにした。

街道の基点は鎌倉鶴岡八幡宮だ。

20080517鶴岡八幡宮s-.jpg 


ここから六浦までは金沢街道と言われていて、鎌倉七口の一つ朝比奈切り通しを抜けていく。
鎌倉第一の古寺杉本寺は、坂東三十三観音の第一番札所であり、階段の苔が美しい。
三体の十一面観音は行基、慈覚大師、恵心僧都の作とされ、街道歩きの始まりに相応しい豪華さだ。
この近辺には竹の美しい報国寺、鎌倉五山の一つの浄妙寺などもあり、寺巡りも面白い。

 20080517杉本寺s-.jpg


朝比奈切通は、思いのほかの山道でハイキングコースとしても丁度良い。峠では時代を感じさせる磨崖仏に出会うことも出来る。

20080517朝比奈切通s-.jpg  20080517磨崖仏s-.jpg


切通を下り終わると、市街地に入り、日蓮や吉田兼好の謂れの上行寺を過ぎ、金沢八景では明治憲法起草の地などの碑が。

20080517明治憲法起草の碑s-.jpg


金沢文庫からは市街地を離れ、再び山道の六国峠のハイキングコースになる。
今の海岸寄り平坦な土地は昔は無くて、海だったと言うことだろう。

コースの途中に現在の地名の能見台の元になる、能見堂跡がある。
金沢八景も、そもそもここに立ち寄った中国僧心越禅師が、ここから見た景色が、中国の瀟湘八景にそっくりと絶賛したことから名付けられたとか。

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山道を終わり、大規模な能見台団地を過ぎると大岡川に沿った古道の雰囲気を残す道が続く。
史跡は無いが、崖線に沿った車の殆ど通らないのんびりした道が楽しめる。
ところどころに”かねさわ道”の案内が出ていて、保土ヶ谷から六浦までの古道をそうも言ったと言うことだ。

20080517かねさわ道s-.jpg  20080517かねさわ道説明版s-.jpg


再開発で様変わりした上大岡駅で、今日の歩きを打ち上げたが、二つの山道歩きと、市街地でのルートファインディング的面白さもあって、思った以上に楽しめた一日目だった。

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