2010年11月28日

鎌倉街道中道(その6:上北沢〜赤塚城)

丁度二年前も歩いていた、鎌倉街道中道の都内のバリエーションルート。
今回は、上北沢付近から、大宮八幡を抜けて練馬城へ北上、更に赤塚城への経路を歩いて見た。

上北沢付近の甲州街道に、鎌倉街道入口の交通標識がある。
道筋が鎌倉街道と認識されているのは、少し嬉しい。

直ぐに真新しい庚申堂があり、中の庚申塔、馬頭観音が街道の面影を伝えている。

20101127鎌倉街道交通案内s-.jpg  20101127庚申堂s-.jpg


神田川の横にある塚山公園には縄文時代の復元住居があり、川に掛かる橋は鎌倉橋の名称と鎌倉街道の碑も設置されている。

20101127塚山公園復元住居s-.jpg  20101127鎌倉街道碑s-.jpg  20101127鎌倉橋s-.jpg


西永福駅を越えると人見街道の終着点だった大宮八幡で、最後の七五三に公孫樹の黄葉が彩りを添える。

松ノ木遺跡では、こんどは時代が新しい古墳時代の復元住居。
この辺は遺跡のメッカ。

20101127大宮八幡s-.jpg  20101127松ノ木遺跡復元住居s-.jpg


阿佐ヶ谷の、スズラン通りとパールセンターというアーケード街が鎌倉街道。
今はアーケードを撤去している商店街が多いが、1999年に竣工したここはまだ元気なようだった。

20101127スズラン通りs-.jpg  20101127パールセンターs-.jpg


鷺宮の地名の由来となった、鷺宮八幡。この辺は白鷺と言うような美称の地名もあって名前はゆかしい。
「日本で最初の交通の地蔵尊」と碑に刻まれている地蔵尊が妙正寺川の横にあり、昭和12年建立。
この頃から交通事故を悼む人が増えたのか。

20101127鷺宮八幡s-.jpg  20101127交通安全地蔵s-.jpg


いかにも古道らしい雰囲気の残る道を辿ると、いきなり豊島園の入り口に出る。
豊島園は昔の練馬城だが、勿論遺跡は殆ど残存しない。

20101127練馬道s-.jpg  20101127豊島園s-.jpg


街道から少し外れて白山神社の大欅を見に行く。
都内最大の欅のといわれ国の天然記念物だが、指定された1940年から時が過ぎ、樹勢は無惨に衰えて痛々しい。
この程度のものは、地方に行くと幾らでも見られるので、どういう理由で国の天然記念物なのかもかなり疑問。
それでも、樹齢800年と言われる樹の存在感は残存する。

20101127白山神社欅s-.jpg


光が丘の団地で道を見失うが、地下鉄赤塚駅の横に鎌倉古道の碑が設置されている。
何の説明も無いが、練馬の教育委員会が設置したものか。同じ像が赤塚中央通りにも見受けられ、騎乗の武者は誰かが気に掛かる。

脚を伸ばして、日本で三番目の大きさを誇るという東京大仏で有名な乗蓮寺に行く。残念ながら拝観は4時までで、大仏を遠望するだけ。
千葉自胤が築城した赤塚城も遺構は見受けられないが、夕暮れの中子供達が楽しげに遊ぶ場所に生まれ変わり、豊島園には負けてしまうが城跡も本望だろう。

20101127鎌倉古道碑s-.jpg  20101127東京大仏s-.jpg  20101127赤塚城址s-.jpg


更に辿れば、荒川の早瀬の渡しに行き着くが、日もとっぷりと暮れたので初冬の街道を終えた。
都内の鎌倉街道も奥が深い。


posted by 遊戯人 at 21:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 鎌倉街道中道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月29日

鎌倉街道中道(その5:上町〜赤羽)

都内の鎌倉街道中道は二子玉川から新宿方面へ向かう道と、用賀を抜けて中野方面へ向かうルートがある。
この日は、後者のルートを歩いてみた。

二子玉川から用賀までは大山街道と重なるので省略し、上町から。

豪徳寺の楓が見頃で、勿論ここに奉られている井伊直弼の墓にも詣でる。
直ぐそばの松陰神社には吉田松陰の墓があり、安政の大獄の幕府側と刑死した側が近くに眠るのも歴史のいたずらか。

20081129豪徳寺紅葉s-.jpg  20081129井伊直弼墓s-.jpg


歳末商戦で賑やかな十号坂商店街。不思議な名前だがこの辺には六号坂商店街というのもあって、水道道路が昔水路だった時に掛かっていた橋の名前に由来するとか。

20081129十号坂商店街s-.jpg


中野区に入ると、住宅地の中に昔懐かしい竹垣の家が残る。
この家は、懐かしい童謡の「たきび」の歌の発祥の地。
作詞者の巽聖歌が、付近を毎日のように散歩して作詞した言われている。

141116s-.jpg  141334s-.jpg

 かきねの かきねの まがりかど
 たきびだ たきびだ おちばたき
 あたろうか あたろうよ
 きたかぜ ぴいぷう ふいている

江戸時代の名主を勤めた旧家だが、童謡の心を伝える美しい竹の垣根を維持する気持に頭が下がった。

伐採された樹をなだめるように竹垣があつられているが、ふしぎな縄飾りが。
よく見ると、少し尾が摺り切れたり形が崩れたりしているが、鶴と亀。まだこのような職人の遊び心が生きていた。

141233s-.jpg 


新井薬師に寄り道する。願い事は例によって色々だ。
境内には巣鴨の刺抜き地蔵と同じように水をかける願い地蔵があり、願を掛ける人が列を成す。

20081129新井薬師s-.jpg  20081129願い地蔵s-.jpg


哲学堂。井上圓了が作った建物が元になっているが、おどろおどろしい名称のものが多い。
四聖堂、六賢臺などまでは良いが、髑髏庵、鬼神窟、無盡藏などとなると中々井上の精神構造は窺い知れ無い。
早々に、常識門から退散した。

20081129哲学堂s-.jpg  20081129哲学堂瓦s-.jpg


新青梅街道を越えると野方配水塔がある。関東大震災の後作られたが、巨大でその独特の様相は今も見る人を驚かせる。

20081129水道塔s-.jpg


昔は板の橋で出来ていて、板橋の地名の起こりとも言われている山中橋で石神井川を越えると日はとっぷりと暮れ、分かり難い道をひたすら歩く。

20081129石神井井川s-.jpg


何とか、別ルートと合流する赤羽の宝憧院まで辿り着く。
馴染みの道標は「西 西国富士道、板橋道」、これが歩いた道。

20081129道標s-.jpg

この日の街道は、バラエティ豊かな見所があり、小春日和の近場の街道歩きにはかなりお勧めだ。
posted by 遊戯人 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 鎌倉街道中道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月28日

鎌倉街道中道(その4:新宿〜赤羽岩淵)

新宿の六地蔵の一つの太宗寺、ここは甲州街道を歩いた時も立ち寄ったがその横の道が、鎌倉街道中道。
再び詣でて歩き出す。

20080928太宗寺地蔵s-.JPG


西向天神では鳩の森神社に続いてこの街道二つ目の現存の富士塚があるが、立ち入り禁止となっている。
この境内には、太田道灌の「七重八重花はあれども山吹の みのひとつだになきそ悲しき」山吹の里伝説で有名な娘、紅皿の墓があり寂しげに花が手向けられていた。

20080928西向天神富士塚.JPG  20080928紅皿の碑1s-.JPG


道は戸山が原へ続き、ここは驚くほどの緑が残っていて、旧市内では最も高いといわれた箱根山がある。
海抜44m、残念ながら木が繁り、眺望は皆無。

20080928箱根山s-.JPG


道は早稲田の学生の闊歩する高田馬場を抜け、神田川に架かるその名もゆかしい面影橋へ。
名称は在原業平などに由来する説などがあるようだが、実際は名前負けする無粋なものなのは残念。

20080928面影橋1s-.jpg


目白の宿坂の金乗院は江戸五不動の目白不動を奉っていて、それが目白の地名の由来。境内には丸橋中弥の墓もある。
都電の鬼子母神駅を過ぎて鬼子母神へ。ススキの穂で造られたミミヅクの郷土玩具でも有名だが、あいにく売っていなかった。
境内の小ささも意外。

20080928金乗院s-.jpg  20080928鬼子母神s-.jpg


池袋のサンシャイン脇を抜けて、王子へ進むと御成道となる。
この道は本郷で中山道から分岐して、幸手宿で日光街道に合流する。

その道の傍らに今度は十条富士塚。
ここは現在も6月30日、7月1日に祭儀が行われ、古来からの風習が生き続けているのは何となく嬉しい。

20080928十条富士塚s-.jpg


赤羽で今日二度目の登場の太田道灌の稲付城旧跡を見て、新荒川大橋を越え、ついでに川口まで歩いて一日を終える。

20080928進荒川大橋からs-.jpg


池袋以外は繁華街も少なく、結構な史跡もあり、かなり楽しめた今日の鎌倉街道中道だった。
posted by 遊戯人 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 鎌倉街道中道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月27日

鎌倉街道中道(その3:二子玉川〜新宿)

荏田から二子玉川までは大山街道の道筋と同じなので省略し、この日は二子玉川から都内の道を辿る。

都内の中道は二筋あって、二子玉川から一つは渋谷、新宿を経由、もう一つは世田谷、中野を経由。
二つの道は赤羽で合流して荒川を渡り、岩槻を越え日光御成道、奥州街道へと繋がる。

世田谷ルートはこれも一部大山街道と重複するので、渋谷ルートへ足を運ぶ。

二子玉川の駅前は大規模開発で中道の古道は無いが、丸子川に沿って大山街道があり、大山街道の道標が。
「左西赤坂道、南大山道、右東目黒道」

20080927南大山街道道標s-.jpg


旧道は上野毛を越えて、目黒通りに合流。目黒区上馬、下馬あたりで源頼朝の伝承の葦毛塚をみる。
上馬、下馬の地名はそもそも、この辺が湿地帯で頼朝の奥州征伐の時に、下馬したところが下馬、再び乗馬した所が上馬とか。

20080927葦毛塚s-.jpg


目黒区から渋谷区へ抜ける目切坂の案内に、鎌倉街道の言葉が見える。

20080927目切坂s-.jpg


上り切ったところに、重文の朝倉家がつい先日から公開されていて、内部も庭も素晴らしく、隣の代官山ヒルサイドテラスの散策がてら訪れるには絶好だ。

20080927朝倉家住宅s-.jpg  20080927朝倉家住宅内部1s-.jpg  20080927朝倉家住宅内部2s-.jpg


街道は、猿楽町を越え、青山、表参道と続くがここでも街道にとっても鬼門の繁華街で、迷いに迷い、漸く千駄ヶ谷の鳩の森神社に辿り着く。
ここは立派な富士塚が残っており勿論登頂参拝。
昔は富士が見えたのだろう。

20080927鳩の森神社富士講2s-.jpg  20080927鳩の森神社富士講2s-.jpg


街道は新宿御苑内を抜けるが、迂回して新宿駅で歩き終える。
都内の街道としては、今日の部分は掘り出し物も多く楽しめた。
posted by 遊戯人 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 鎌倉街道中道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月01日

鎌倉街道中道(その2:鶴ヶ峰〜荏田)

暑さで出控えていたが、久しぶりに中道へ。

鶴ヶ峰では畠山重忠の六ツ塚へ立ち寄る。
鎌倉街道では畠山重忠はあちこちに足跡を残すが、この近辺は鎌倉幕府の北条時政に謀られた畠山重忠が、北条義時の万余の大軍と戦い玉砕し、万騎が原の地名も残っている。

六ツ塚は畠山重忠の主従が葬られているという場所で、近くには駕籠塚もある。
重忠の妻は急を聞いて、駕籠で駆けつけたが、この地で重忠の戦死を聞き駕籠中で自害した。駕籠塚それを弔うもの。

20080801六ツ塚s-.jpg  20080801駕籠塚s-.jpg 

 
さて、今日の街道は殆どが開発された変哲の無い住宅地の中に残る道、もしくは全く消失した道を辿る事になった。
僅かにそれらしい雰囲気を残しているのは、鶴見川を越えて荏田との境界辺りまで。
新興住宅地の中の道も、尾根道が多いという事が、鎌倉街道らしいと言えば鎌倉街道らしかった。

20080801住宅地s-.jpg

荏田に入るとまたまた大規模住宅団地で、報いの少ない歩きとなる。

荏田宿からは溝口まで、嘗て歩いた大山街道を辿ることになるので、まだ陽が高いが暑さにもめげて、早々と打ち止めた。

20080801灯明s-.jpg
posted by 遊戯人 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(1) | 鎌倉街道中道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月11日

鎌倉街道中道(その1:鎌倉〜鶴ヶ峰)

都内の下道を終えて、再び鎌倉に立ち返り今度は中道へ。

まずは鶴岡八幡の源平池の蓮の花を愛でてから。
しかしここも、源氏池は三(産)の島、平家池は四(死)の島があって、北条政子の思いも恐ろしく、仏教の蓮華の平和なイメージと異なって、源氏池の白の蓮、平家池の紅の蓮もおちおち咲いていられない。

20080711源平池蓮1s-.jpg  20080711源平池蓮2s-.jpg


離山富士見地蔵尊の所に、鎌倉街道中道の碑が。
鎌倉街道自体の標識や碑は時々見かけるが、中道と明記されたものは初めて出現。

20080711中道碑s-.jpg


大船を過ぎるあたりから、鎌倉街道特有の尾根道を好む傾向が現れて、上ったり下ったり。
道は大規模な住宅団地で途切れているが、公園状に残されている尾根道もあり、横浜市のよき意図を感じる。

20080711市民森標識s-.jpg


東海道線を越えて鶴ヶ峰までは、戸塚カントリーと横浜カントリーが全く道を消滅させている。
僅かに、一つ標識があることで、道筋の一部がわかる。

20080711大山道標識s-.jpg


今日は、昔人が尾根歩きが好きなことを改めて再確認した一日だった。

20080711横浜新道s-.jpg
ラベル:鎌倉街道中道
posted by 遊戯人 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 鎌倉街道中道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。