2010年02月06日

浜街道(その2:町田〜横浜関内)

歩き初めから大分経ってしまったが、前回に引き続いて、町田〜横浜関内を歩いて短い絹の道は2回で完結。

町田から所謂八王子街道(16号線)と重なる部分が多く、単調な国道歩きを予想したが、旧道は何故こんなにと、不思議なくらい国道の右に左にと曲がりくねって残っており、結構楽しめた。

標高僅か100.5mだが高尾山の名前も付いている横浜市内唯一の一等三角点を持つ場所にも寄り道し、そこからの雪の付いた丹沢の眺めは長閑だ。

20100206飯綱神社からs-.jpg


過去に歩いた鎌倉街道上道、中道、大山街道、中原街道、東海道と交差したり部分的に同じ道筋だったりもして、あれこれ記憶を辿り懐かしい。
若葉台付近では、鉄製の水道橋が空をよぎる不思議な光景に遭遇。
鶴ヶ峰付近では、畠山重忠主従が祀られた六つ塚も再訪。

20100206水道橋s-.jpg  20100206六つ塚s-.jpg

横浜市内では浜街道は冷遇されているが、上星川手前の環状二号線付近で初めて旧八王子道としての真新しい碑を発見。

20100206旧八王子道碑s-.jpg


東海道の保土ヶ谷宿手前の芝生の追分で絹の道は終わるが、そこから関内まで今度は横浜道という名前の道が続く。

20100206芝生の追分s-.jpg


敬意を表して、横浜道を辿り、関内日本大通りのシルクセンターまで足を延ばす。
シルクセンターは坂倉準三の設計で既に築50年だが、まだ現役で色褪せない姿は健在だ。
コルビジェのモチーフや、今も通用するモダンな色使いなどに敬意を表して、絹の道を歩き終えた。

20100206シルクセンターs-.jpg  20100206シルクセンター換気塔s-.jpg  20100206シルクセンターEVホールs-.jpg


posted by 遊戯人 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 浜街道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月09日

浜街道(その1:八王子〜町田)

浜街道は八王子から横浜までの40KM程度の街道だ。

八王子は古来桑都といわれ、絹織物産業が盛んだった。
開国の頃、街道の村の鑓水に生糸の商いをする鑓水商人といわれる人々が現われ、開港された横浜港に生糸を運び財をなした。

新年に相応しく、1996年文化庁「歴史の道百選」に選ばれて、絹の道という美称も持っている浜街道を歩いて見た。

八王子八日町の、懐かしい甲州街道と16号線の交差点がスタート地点。
西行も苦笑しながら、桑都商事も頑張っている。

 浅川を渡れば富士の影清く 桑の都に青嵐吹く (西行)

20100109八日町交差点s-.jpg  20100109桑都商事s-.jpg


分譲住宅地を抜けて鑓水峠入口へ。昔の道は跡形も無く急な階段が迎えてくれる。

20100109階段s-.jpg


登り切ると、高尾から奥多摩の山並が目を楽しませ、絹の道の碑の奥には鑓水商人が作った道了堂跡がひっそりと残っている。
20100109山並s-.jpg  20100109絹の道碑s-.jpg  20100109道了堂跡s-.jpg


山道の核心部は1KM弱だが、木漏れ日の中を枯葉の音が心地よく、下りきると鑓水商人八木下要右衛門の屋敷跡に絹の道資料館が建っている。
畑の、どんと焼きの準備も愉しげだ。

20100109絹の道s-.jpg  20100109絹の道資料館s-.jpg


都の有形文化財の小泉家屋敷は、茅葺屋根が懐かしい。
まだ実際に住まわれているが、玄関に架かっている、府中の大国魂神社の烏団扇が何となくユーモラス。

20100109小泉家屋敷s-.jpg  20100109烏団扇1s-.jpg

この付近に鑓水板木という地名があり、板木は「伊丹木」に由来し、これはアイヌ語の「きれいな清水が湧き出る所」の意で、この付近にはアイヌが住んでいたと思われる、との説明版があった。
南東北まではよく聞く話だが、東京にもとは予想外。

街道は、多摩ニュータウンの南大沢の一角に入る。完全に造成されて跡形も無いが、しかし、街道の痕跡を残そうという開発事業者の気持が見える。

20100109多摩ニュータウンs-.jpg  20100109タイルs-.jpg


町田街道の脇に、ストーンサークルの田端遺跡がある。
付近で発見された4500年から2800年前の、縄文中期から後期にかけた遺跡の一つ。

この場所からは南西に富士と丹沢を望み、冬至には丹沢主峰の蛭ヶ岳山頂に夕陽が落ちる。
縄文人の祭祀が行われた場所で、本物は盛土保存され、今は復元されたものを見る事が出来る。
復元物とはいえ、その不思議な造形や線状の刻印に思わず襟を正す。

20100109田端遺跡1s-.jpg  20100109田端遺跡2s-.jpg  20100109田端遺跡3s-.jpg


これも何故ここに木曽か、という地名の木曽町で奥州古道と交差し、奥州古道側に木曽一里塚がある。
徳川家康の遺骸を久能山から日光に改葬するにあたり、大久保長安によって造られたものとか。
鎌倉街道上道を歩いた時に、奥州古道とは小野路でも交差し、そこにも小野路一里塚があった。
家康は死しても、一里塚を作らせたわけだ。

20100109木曽一里塚s-.jpg


縄文から現代まで、予想外に歴史綾なす浜街道、とっぷりと日も暮れて、町田駅前の絹の道の碑を見て終わる。

20100109町田駅前碑s-.jpg
posted by 遊戯人 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 浜街道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。