2010年10月29日

岩城相馬街道(その12:新地宿〜岩沼宿)

明けやらぬ太陽のもと、新地駅へ戻り最後の行程へ。

名前の謂れが気にかかる十三奉行溜池で県境を越え、宮城県へ入る。
この辺は溜池が多く、これも二宮尊徳士法の影響か。
上平集落では、建売でもないのに全く同じような外観を持った家が軒を連ねている。分家だろうか。

20101024日の出s-.jpg  20101024十三奉行溜池s-.jpg  20101024上平集落家s-.jpg


坂元宿は各家が全て火の用心の旗を出してるのが珍しい。他の町でも見受けたのでこの地方の伝統かとも思われる。

20101024坂元宿s-.jpg


山下宿の当護稲荷神社の鳥居の傍に、江戸浜街道についての説明があり、宮城県ではもっぱら江戸浜街道と呼ばれている。

この神社には沢山の石碑が集められており、珍しい蛇の姿が彫られていた。蛇神か。
この町も古いものはなく、唯一旧検断屋敷跡が残っている。

20101024江戸浜街道説明碑s-.jpg  20101024当護稲荷神社碑s-.jpg  20101024山下宿検断s-.jpg


間の宿といわれる横山は、また例の火の用心。
町の外れに一里塚跡があるが、ゴミ置場となっていて何の説明もなく打ち捨てられている。

20101024横山宿s-.jpg  20101024横山一里塚s-.jpg


亘理町立郷土資料館が国道越しに見える。
お門違いの城郭風だが、亘理には臥牛城といわれた城があったので、その雰囲気だけでもという事か。

亘理宿入り口の称名寺で、国の天然記念物のシイを見る。
相馬地方以北、数々の巨樹を見たがその中では存在感が圧倒的に一番。姿かたちが少し山代の神代桜にも似ているようだ。

20101024亘理郷土資料館s-.jpg  20101024称名寺シイs-.jpg


亘理宿は珍しく、町名などの説明碑が立っている。古い建物も散見され、漁港を控えているせいか、この地方では珍しく町に活気がある。
たまたまこの日は「商人祭り」が開かれていて、若い人も多く、寂れた街ばかりを見る事が当たり前だった目が驚いた。

20101024亘理宿建物s-.jpg  20101024山田屋s-.jpg  20101024商人祭s-.jpg


逢隈を過ぎると、阿武隈川越しに奥州街道を歩いたときも目にしたダイナミックな日本製紙の工場が見えてくる。
橋の手前に333kmと分り易い道路標識がある。

橋を渡って、終着点の岩沼宿に入るが、排水機場の傍にある藤場の渡跡と言われる場所に立ち寄る。
何の標識も無いが、確かに人工物の石積の跡が残っている。
江戸時代のものが水流にも押し流されずに、この姿で残っているとも俄かに信じがたいが、これも街道の夢として記憶に留める事にした。

20101024日本製紙s-.jpg  20101024排水機場s-.jpg  20101024藤場の渡しs-.jpg


岩城相馬街道は竹駒神社寺手前で、鍵の手に曲がってくる奥州街道と合流し、ここが今回の旅の終着点という事になる。
ここも何の標識もないのは真に残念だ。

交差点の角にある店の方に伺うと、以前は標識が立っていたが、8年前に道が拡幅された時に撤去されてしまったとの事。

20101024追分s-.jpg


日本三大稲荷の一つの竹駒神社を再訪し、奥州街道を歩いた時は修復中だった唐門を確認。
勿論、旅の無事をお礼参り。

直ぐ傍に、名所の武隈の松があり、ここも再訪。
芭蕉は「桜より松は二木を三月越し」と詠んだが、三月どころでなく十ヶ月も掛かった街道だった。

20101024竹駒神社唐門s-.jpg  20101024竹駒神社s-.jpg  20101024二木の松s-.jpg


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2010年10月28日

岩城相馬街道(その11:中村宿〜新地宿)

中村宿では、銀行の前にある道路元標を確認してから歩き始める。
説明碑が併せて設置されていて、日本橋まで73里17町、福島県庁まで15里11町。
道路元標に親切に説明が行われている例は比較的少なく、相馬市の余裕が感じられる。

この銀行もそうだが、この通りは切妻に建物が統一されていて、町に景観規制があるようだ。
これも町の余裕。

20101023相馬宿道路元標s-.jpg


川沿いの、のんびりした道を歩くと黒木宿。
入り口に石仏群があるが、町自体には何も残っておらず街並みも極平凡だ。

20101023黒木宿への道s-.jpg  20101023黒木宿石仏s-.jpg


長い付き合いだった相馬藩と別れ、まだ福島県だがいよいよ仙台藩の領域に入る。
このあたりは昔は相馬藩領、安土桃山時代以降は仙台藩、そして明治の戊辰戦争で仙台藩は相馬藩に破れ、今はそのまま福島県に復した。
街道は藩境のある国道の下を抜けてゆく。

20101023藩境s-.jpg


中村宿から駒ヶ嶺宿へは、なぜか黒木宿を経由してぐるりと時計回りに大回りする。
特段避けるべき山川がある訳でもなく、どのような理由か不明のまま。
こういう大曲は、蛇行切断地形の中山道大桑地区とか奥州街道の船迫宿でも見受けられた。

駒ヶ嶺宿も見るべきものはない。
駒ヶ嶺城跡があるが、これはパスして先を急ぐ。

20101023駒ヶ嶺宿s-.jpg


新地宿では、旧家の黒澤家の庭にある歌碑道標を見学。
東西の二つの碑があり、西は
 右なかむら 左津るし 志ら菊や松し満道を・・・と刻まれている。
東は 
 東都八十里 仙城十三里 
  陸奥の束稲山佐久良ばな吉野之外に可ゝ留べしとハ 西上人
  木の茂とに汁も鱠も桜可な 翁

と西行と芭蕉の歌が彫られている。どちらも桜がらみで、東の碑には慶応三年三月と刻まれているが、何故この歌かも語る人はいない。
しかし、どこにでもある道標と違って、歌が刻まれているだけで街道歩きの物好きが訪れるので、この道標も本望だろう。
たまたま庭におられた旧家のご夫妻が、親切に碑がここにある経緯などを説明してくれて感謝。

話が尽きないが、秋の陽はつるべ落とし。
予定の坂本宿は諦めて新地宿を足早に歩き過ぎ、新地駅で歩き終える。

20101023西歌道標s-.jpg  20101023東歌道標s-.jpg  20101023新地宿s-.jpg
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2010年10月22日

岩城相馬街道(その10:小高宿〜中村宿)

この日は小高宿から所謂相馬の中村宿まで。

街角に蔵造りの旧家を見て、相馬家の居城だった相馬三妙見の一つの小高神社に脚を運ぶ。
この城は紅梅山浮舟城と言う、雅な名前をも持っている。
相馬氏は鎌倉時代から明治維新まで700年以上の長きに亘ってこの地を支配し、世界でも珍しい長期統治者という事を知る。

相馬野馬追の最後を飾り、多くの馬の中から神の思し召しにかなう馬を捕らえて奉納するという神事の野馬懸はこの神社の敷地で行われるという。
馬が駆ける様が目に浮かぶ。

20101012小高宿旧家s-.jpg  20101012小高神社s-.jpg


次も街道から少し離れて、相馬三妙見の一つの太田神社に向かう。
杉の巨木の参道が心を鎮め、長い階段の上にある神社は、680年の由緒を誇り、ここも野馬追いの出陣式が行われる。
鈴の緒が、どういう謂れか真に凝った造りになっていて眼を引いた。

20101012太田神社s-.jpg  20101012鈴の緒s-.jpg


原町宿に入ると広大な野馬追祭場があるが、何とこの場所は相馬三妙見の小高神社、太田神社、中村神社の飛地境内と案内板が立っている。
確かに、馬場の入り口には結界としての柵が設けられている。

街中には昔の高札場跡に、復元した三階蔵が建てられている。特に相馬藩に特徴的なものでもなく、わざわざ「上方風」と謳っておりやや意味不明。

20101012相馬馬追祭場s-.jpg  20101012三階蔵s-.jpg


道端の稲はすっかり刈り取られているが、短い秋の陽の中で二度目の穂をつけようかという緑が、いかにもけなげに且つ美しく見える。
山の中の五本松茶屋付近に巨大なクレーター状の土地があり、東北電力の廃棄物捨て場のようだ。
人の眼に触れにくい所に、忌避される施設がいつの間にか作られる。

塩崎一里塚があるが、南相馬市の扱いは冷淡で、消えかかった文字の標識杭があるだけで、それも殆ど何も読み取れない。

20101012稲s-.jpg  20101012廃棄場s-.jpg  20101012塩崎一里塚s-.jpg


日吉神社の樹齢800年の杉を見て、坂を下り鹿島宿に入る。
鹿島宿では今度は鹿島神社の樹齢1000年の大欅。何かと巨樹が多い街道だ。
次は、またしても打ち捨てられた横手一里塚。

20101012日吉神社杉s-.jpg  20101012鹿島神社欅s-.jpg  20101012横手一里塚s-.jpg


相馬藩は二宮尊徳の二宮仕法に取り組み、「二宮御士法を伝える土樋」が今も健在だ。
これも珍しい名前の鬼越迫では、旧道の幅そのままの松並木が部分的に残存している。

20101012二宮土樋s-.jpg  20101012鬼越迫松並木s-.jpg


日下石川を渡って、しばらく行くと高根沢地区でこの街道随一と思われる立派な松並木が続き、足の疲れも癒される。
宇多川を渡ると、相馬氏の居城中村城のあった中村宿。
町はこれも電力会社関係か、かなり豊かに整備されている。

20101012松並木s-.jpg  20101012中村宿s-.jpg


今は相馬神社が建っている中村城跡と、相馬三妙見の最後の一つ、中村神社を見学。
中村神社は相馬三妙見の中で一番勢いがあり、野馬追いの元締めらしく多くの馬が飼われており、境内に馬の像が溢れている。
階段の手すりも馬ずくめだが、これもご愛嬌。

20101012相馬神社s-.jpg  20101012中村神社s-.jpg  20101012中村神社手すりs-.jpg


もっぱら、巨樹と野馬追いと相馬三妙見が主題になったこの日の旅だった。
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2010年10月11日

岩城相馬街道(その9:大野〜小高宿)

大野駅から街道に戻り、ほどなく五郎四郎の一里塚。
不思議な名前だが、五郎から生まれた四郎が住んでいた土地だろう。

前田に入り、浜通りで尤も大きい杉と自称している稲荷神社の前田の大杉を見物。
目通り幹周り7.7m、高さ22mと。然しこの後これより大きな杉を沢山見かけたので、看板にかなり偽りあり。

20101010五郎四郎一里塚ss-.jpg  20101010前田の大杉s-.jpg


新山宿に入ると、モトケンダンという名前の雑貨屋がある。勿論モトケンダンは「元検断」で、とにかく屋号として残っているのは嬉しいところ。
合宿の長塚宿に入り双葉駅前に鄙にも稀な、美しいプロポーションのヴォーリス風の建物が眼を引く。旧三宮堂田中医院で昭和4年建築と。

20101010モトケンダンs-.jpg  20101010旧三宮堂田中医院s-.jpg  


鴻草集落に江戸時代の豪商大黒屋の屋敷がある、何故このような土地にという疑問が残る。
街道を少し外れて薬師堂の磨崖仏を見る。鎌倉時代のものとされているが、かなり明瞭な輪郭を残しており、お顔も微笑んでいるように見える。

20101010大黒屋-.jpg  201010鴻草磨崖仏s-.jpg


浪江宿手間で西行も訪れた高瀬の清水に立ち寄る。判りにくい場所にあり、入り口には何の標識もなく、小さな屋根が掛かっている。

 陸奥の高瀬の清水 来て見れば あほいのくきの下にこそあれ(西行)

その風情は感じられなかった。

浪江宿は度重なる火事に懲りて高野宿から水に因んだ浪江宿に改称したが、その甲斐なく安政にまた大火にあって全焼。
ためにこの宿は二つの街道筋が残っているが、見るべきものは殆どない。

20101010高瀬の清水s-.jpg


浪江宿を過ぎると、西陽にコスモスが美しく、程なく出口一里塚跡。

20101010コスモスs-.jpg  20101010出口一里塚s-.jpg


陽も落ちてきて先を急ぎ、大悲山の石仏群に着いた時はほぼ闇の中。
ここには薬師堂石仏、観音堂石仏、阿弥陀堂石仏がある。

阿弥陀堂の石仏は剥落してよく分らない。肝心の薬師堂石仏は大杉に眼を奪われて見逃した。
大悲山の大杉は目通り幹周り8.6m、高さ45mと解説されていたので、前田の大杉の比ではない。

20101010阿弥陀堂s-.jpg  20101010阿弥陀堂石仏s-.jpg  20101010大悲山大杉s-.jpg  


観音堂石仏はかなり巨大で保護のためか鞘堂が掛けられている。しかし、闇の中で十一面観音坐像とされる姿は定かではない。

20101010観音堂.JPG  20101010観音堂石仏s-.jpg


目にはさやかに見えねども、仏様に様々祈願をして闇の中を小高宿に辿りつく。
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2010年09月19日

岩城相馬街道(その8:木戸宿〜大野)

酷暑の夏が終わり始め、ようやく岩城相馬街道の続きに。

木戸宿は建設省が選んだ24箇所の歴史国道の一つという事で、楽しみにしていたが期待外れ。

国交省の四国道整備事業とは「・・・本事業は、歴史上、広域的な道路として利用され、国として特に重要な歴史的・文化的価値を有する道路について、その整備保存、復元及び活用を図るものです」
と示されており、尤もな選定基準も幾つかあるようだが、他の宿場と比べて何故木戸宿が、感は否めない。

若干の古い建物が残り、用水路もあるにはあるのだが。
あまり見かけた事の無いピンクの彼岸花が、道端を飾る。

20100919木戸宿s-.jpg  20100919木戸宿水路s-.jpg  20100919彼岸花s-.jpg


季節は巡って、豊葦原の瑞穂の国。街道沿いには稲掛けも稀に見受けられる。

20100919稲s-.jpg  20100919稲掛s-.jpg


稲の実りを見る以外はあまり史跡や、見所もなく、そういう時は一里塚が目標物だが、井出一里塚、清水一里塚と現道と離れていたり、生繁る草に足元を阻まれたりした為に諦めた。

20100919清水一里塚への道s-.jpg


富岡宿はこの地方の中心的な町だが、ご多分に漏れず人気の無い町並みで、悲しくなるくらい衰退する地方都市の典型だ。
町を抜けてしばらく行くと松並木も少し残存し、さらに今度は現道に面して江戸から66番目の新田町一里塚が残っていて、少し街道らしい雰囲気を見ることが出来る。

20100919富岡1s-.jpg  20100919松並木s-.jpg  20100919新田一里塚s-.jpg


富岡宿を抜けると夜ノ森という珍しい地名があり、気に掛かった。
そのあたり一帯を岩城氏と相馬氏が領有権を争って「余(=我)の森」を主張し、その境界線となったことに由来するとか。
街道も岩城氏の領土から相馬氏の領土に入ったわけだ。

更に進むと熊川宿。6号線に面しているが、往時の建物がかなり残っている。

6号線の250kmの標識を越え、大野駅でこの日を終えた。実りの秋の稲穂を見る旅だった。

20100919熊川宿s-.jpg  20100919250km道路標識s-.jpg
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2010年05月09日

岩城相馬街道(その7:四倉宿〜木戸宿)

四倉宿では道にはみ出した、街道の松が元気。

ちょっとレトロな眼鏡屋さんや、登録文化財の旧四ツ倉銀行なども。
小さな町だが、漁港を控えているせいか、珍しく活気が感じられた。

20100509四倉松s-.jpg  20100509新妻時計店s-.jpg  20100509旧四倉銀行s-.jpg


波立海岸へ抜ける旧道は車一台出会わなかったが、山の中に全く意味不明の高速道路かと思われるような道路工事が行われている。
怒りを越えて、あきれ果てるが、事業見直しでこのまま中止にしてもらたい位のもの。

20100509道路工事s-.jpg


波立海岸の波立寺、弁天岩など。
西行も立ち寄って、傍には碑も建てられている。

 陸奥の古奴美の浜に一夜寝て 明日や拝まむ波立の寺(西行)

20100509波立寺s-.jpg 20100509弁天岩s-.jpg 20100509西行歌碑s-.jpg


久ノ浜宿の諏訪神社の青龍の松は、高さでなくて、長さ14.5m。
盆栽的に設えられて、横へ横へと伸びている。

20100509青龍の松s-.jpg


久ノ浜宿の下水の蓋が不思議な絵柄で、これは近くで発見された有名なフタバスズキリュウをあしらったもの。

町の北にある大久川に掛かる代ノ下橋は美しい木橋だ。こういう形で街道の道筋が残されているのは好ましく、願わくは岩城平宿の夏井川に掛かる鎌田橋も、こうありたかった。

20100509下水蓋s-.jpg  20100509代ノ下橋s-.jpg


末續駅は無人駅だが、躑躅が美しく手入れされている。
あちこちで田植が始まっていて、細かい部分はまだ人力で行われ、何処かで見た懐かしい風景は、今も残っている。

広野宿の北口に北迫地蔵尊があり、天明の大飢饉の餓死者の供養。
この飢饉の供養は東北全域に見られて、そのひどさが推し量られる。

20100509末続駅s-.jpg  2010509田植s-.jpg  20100509北迫地蔵尊s-.jpg


巨大な「道の駅ならは」に嬉しい温泉があったが、残念ながら時間不足で疲れを癒す事が出来ず、ひたすら道を急ぎノスタルジックな木戸駅で旅を終わる。

木戸宿は建設省が選んだ24箇所の歴史国道の一つだが、見学はまた次回。

20100509道の駅s-.jpg  20100509木戸駅s-.jpg
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2010年05月04日

岩城相馬街道(その6:湯本宿〜四倉宿)

湯本宿の温泉は有馬、道後と並ぶ日本三古泉の一つ。
常磐炭鉱の掘削の影響で、一時源泉が枯渇した事もあったようだが、フラガールでも有名な常磐ハワイアンセンターもスパリゾートハワイアンズと名前を変えて復活し頑張っている。

歩く前に、足湯で足に気を入れる。

20100504足湯s-.jpg


温泉神社に矢で作られた珍しい紅白の扇が飾られている。
神主さんの説明だと大国主命が祭神で、大国主命は大地主神とも言われるぐらいで大地に関係があり、土木、建築に係わり深く測量も司ったとか。
そのため、昔の測量の機器に似た形をしているというが本当だろうか。
確かに江戸時代の象限儀に似ていなくもない。

20100504温泉神社s-.jpg  20100504温泉神社扇s-.jpg


街中に童謡館という建物があり、野口有情が数年間、湯本に滞在していた時の所縁のものが展示されている。
磯原の生家の展示館は撮影禁止だが、ここで雨情の書を撮影出来る。
ボランティアで運営されていて、このような取り組みには頭が下がる。

20100504童謡館s-.jpg  20100504足湯s-.jpg


街中には新しい立ち寄り湯の施設などもあるが、ひっそりとして残念ながら活気はない。

20100504さはこの湯-s.jpg  20100504湯本街s-.jpg


国道に合流すると、ウッドピアいわきと石炭化石館がある。あとでここにフタバスズキリュウのレプリカがあることを知るが、パス。

内郷から足を延ばすと、福島県唯一の国宝建造物の白水阿弥陀堂があるがここも以前訪れたたのでパス。
内郷を越えてようやく200kmの道路標識が出る。

20100504ウッドピアいわきs-.jpg  20100504道路標識s-.jpg


いわきの手前で、五里八幡の一つの飯野神社に立ち寄る。重文指定されてるに相応しい豪華さと落ち着いた境内だ。

20100504飯野神社1s-.jpg  20100504飯野神社2s-.jpg


いわきの駅前はスラローム形のコミュニティ道路となっていて、戦災で焼け残った味わい深い建物も見受けられる。

20100504いわき商店街s-.jpg  20100504いわき建物1s-.jpg  20100504いわき建物2s-.jpg

いわき市は昔は平市で、いわきはそもそも岩磐だが、岩城相馬街道の岩城は鳥居忠政が作った岩磐平藩以前の、大名の岩城氏から来ているのでややこしい。

街道筋にそのまま残る人道橋の鎌田橋で夏井川を渡り、磐城平宿を出る。
来迎寺に故曽我十郎祐成 故曽我五郎時宗供養塔。
何故曽我兄弟の供養塔がここにあるのかも不思議。

20100504鎌田橋s-.jpg  20100504曽我兄弟供養塔s-.jpg


キメラのような不思議な桜を見かけたが、よく見ると株が違ってる。
山桜と染井吉野か。

20100504桜s-.jpg


四倉宿に入り、街道から離れて祐天上人の墓がある最勝院を詣でる。
祐天寺上人は増上寺の大僧正も勤め、祐天上人が没した所が東京の祐天寺。

20100504最勝院s-.jpg  20100504祐天上人墓s-.jpg


四倉宿の中心には、注連縄が町中に張り巡らされている。
聞くと、諏訪神社の祭礼で海岸での「神輿中渡御」がこの日に行われたと。
全く知らずに見逃したのは残念だ。

20100504四倉s-.jpg


この、ブロブは何時になく写真が増えてしまった。
ブログのディスク容量の増設が出来る事がわかって、ちょっと気が大きくなったので。
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2010年04月29日

岩城相馬街道(その5:勿来〜湯本宿)

勿来駅前で、源義家の像など眺めて、関田宿に入る。
街道の松を避けて道の方が微妙にカーブして、配慮に感心する。

20100429義家像s-.jpg  20100429松s-.jpg


中田八坂神社の夫婦杉。夫婦杉はあちこち見かけるが、ここはそれが二本並立して珍しい。
安良という集落の、梵字の回国供養塔も珍しい。

2000429夫婦杉s-.jpg  20100429回国供養塔s-.jpg


植田宿では吉田松陰の碑を見物。東北遊学の時に立ち寄っている。
省みて、植田町の道路元標は哀れにも旧郵便局の横に打ち捨てられていて、町の意識を問わず語りに示している。

20100429松陰碑s-.jpg  20100429植田町道路元標s-.jpg


植田宿を抜けると、長寛な田園風景となり他の畦が切られて水の音が耳に優しい。
あちこちで田植えの準備で、豊葦原瑞穂の国の営みが始まっている。

20100429田園風景s-.jpg


JRの線路を渡り、右手からトンネル上部を越えると新田坂の朽ち果てた標識があり、ここからは岩城相馬街道初めての山道となる。
峠には、最近造られた茶屋風の小屋もある。

20100429新田坂碑s-.jpg  20100429新田坂s-.jpg  20100429峠の茶屋s-.jpg


坂を下り終わると、渡辺宿、さらに初田宿。

中部工業団地の入り口に、ちょこんと添えられた一里塚の碑を発見。
足を進めて、上船尾宿入り口にレトロな映画看板。
「映画看板のある風景実行委員会」と言うのがあったそうだが今でも存在しているのだろうか。

20100429一里塚碑s-.jpg  20100429映画看板s-.jpg


湯本宿は日本三古湯の温泉で有名だが、駅前は、ブロンズ通りという名称で何故か色々なブロンズ像があり、温泉と全くそぐわないイメージでで意味不明。
駅前には立寄り湯が見当たらず、せめてもの源泉からのお湯に足湯をする閑もなく、タイミングよく列車が来て飛び乗った。

20100429ブロンズ像s-.jpg
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2010年04月25日

岩城相馬街道(その4:磯原〜勿来)

磯原で野口雨情の生家に立ち寄った。
「十五夜お月さん」「七つの子」「青い目の人形」などの誰でも知っている童謡を作詞した雨情の実家は、土地の名家で父親は村長だった。

実家は今も現存して生活の場として使われており、新築された別館は資料館として公開されている。

その中に見事な筆さばきの書体の六曲の屏風があり、雨情自筆のものという。
晩年は良寛の書を手習いした言い、雨情の字も良寛の字に似て見える。

近くには北茨城歴史民族資料館(野口雨情記念館)があり、入り口の出雲崎の良寛の像に似ている雨情の銅像に近寄るとシャボン玉が迎えてくれた。

20100425野口雨情生家s-.jpg  20100425野口雨情記念館s-.jpg


神岡宿には黒塀の立派な家が多く、門被りの松が多い。昔は女郎屋宿といわれたようだが、粋な黒塀見越しの松。

20100425黒塀s-.jpg  20100425門かぶり松s-.jpg


大津港駅付近で岡倉天心が本拠地にした五浦の方へ寄り道して、六角堂等見学する。
平櫛田中の天心像が幾つか有り、天心よりも107歳まで製作を続けた平櫛の生き様に改めて驚く。
以前見た「男ざかりは百から百から。わしもこれからこれから」の書を思い出す。

直ぐ隣には内藤廣設計の、豪華な茨城県天心記念五浦美術館が建てられていて、天心の所縁のものを見る事が出来る。

内藤廣のデザインは、初期の出世作の海の博物館の転用でスケールに負けていた。
箱物行政の典型だが、良いのか悪いのか。

20100425六角堂s-.jpg  20100425五浦釣人s-.jpg  20100425天心美術館s-.jpg


茨城観光百選に選ばれている平潟港、これもつくば科学万博の時に選定されているので遠い昔の物語。

20100425平潟港s-.jpg

来るなかれ、の勿来の関に立ち寄る。
源義家の
 吹風を勿来の関とおもへども 道もせにちる山桜かな

一帯は公園となっており、歌碑が散策路に設けられている。
全く場違いで豪華な、吹風殿という体験学習施設が作られていて、これは今度は福島県の箱物行政の極みということになる。

20100425勿来の関s-.jpg  20100425勿来の関碑s-.jpg  20100425吹風殿s-.jpg


帰りの道はまだ桜が満開で、紀貫之の歌のように行く春を惜しめたか。

 惜しめどもとまりもあへず行く春を 勿来の山の関もとめなむ 
            
20100425桜s-.jpg
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2010年04月06日

岩城相馬街道(その3:十王〜磯原)

十王駅から街道へ戻るが十王川の桜はまだ蕾。

歴史の道百選にも選ばれている十王坂は、解説の碑がある訳でもなく上り口の住人を失った廃屋が侘しく迎えてくれる。

20100406十王川 s-.jpg  20100406十王坂廃屋s-.jpg  20100406十王坂s-.jpg


愛宕神社の灯篭が珍しい形で、明和九年の年号も「迷惑」で直ぐ改元されたとか。

20100406愛宕神社灯篭s-.jpg


これも珍しい名前の、びんずる坂の手前の立派な高萩工業高校は廃校となって門が閉ざされている。春に桜は空しく咲くか。
びんずる坂は賓頭盧尊者の由来か不明。

20100406高萩工業高校s-.jpg


坂を降り切ると立派な煙突が遠望できる。
ここは日本加工製紙高萩工場だったが、2002年に茨城県下で最悪と言われる倒産劇を演じそのまま放置され、工場は廃墟と化している。。

20100406煙突s-.jpg


安良川宿の街には立派な薬医門を持つ建物も見受けられるが、街には活気は全く感じられず、高萩駅からのメインストリートにも人影は見当たらない。

20100406安良川宿豪邸s-.jpg   20100406安良川宿s-.jpg


高萩市の指定文化財になっている、安良川宿に唯一残っていた松は今の市の姿を象徴するように、枯れ果ててしまっていた。

20100406安良川宿松s-.jpg


県北各地に残るもののうちで最大のものという馬頭観世音碑。
確かに大きい。

20100406馬頭観音s-.jpg


途中工業団地で道に迷うが、赤浜へ。
ここは、実査こそしなかったものの伊能忠敬よりも早く日本地図を作った長久保赤水の生誕の地で、墓に詣で、今も残る旧宅を拝見する。

20100406赤水碑s-.jpg  20100406赤水墓s-.jpg  20100406赤水旧宅s-.jpg


足洗宿は特段見るべきものもなく、少し早いが例によって人の気配の全く見えない、駅前商店街が控える磯原駅で歩き終えた。

20100406磯原商店街s-.jpg
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2010年03月18日

岩城相馬街道(その2:大甕〜十王)

大甕駅から街道に戻り、大甕神社に再度の参拝。
右手にこの街道で始めて海が見え、浜街道らしくなるが、しばらくは6号線沿いに、面影のない森山宿などの単調な道が続く。
豪邸多し。

20100318海s-.jpg  20100318森山宿豪邸.JPG


常陸多賀駅の手前で旧道に入り、ここにも出桁造りの立派な旧家や昔懐かしい姿の商店のある道筋を通る。

20100318旧家s-.jpg  20100318かど屋s-.jpg


下孫宿という名称は消失し、僅かにバス停に旧道の名があるのがせめてものよすが。

20100318旧道バス停s-.jpg


水戸九代藩主徳川斉昭が造らせた、助川海防城の碑が助川小学校入り口に。

20100318助川城碑s-.jpg


企業城下町日立市の中心部の助川宿の商店街は、電柱が地中化されていてスッキリしているが、街道の名残はない。
この地方の神社の注連縄が、独特の形だがどのような由来か。

20100318日立商店街s-.jpg  20100318鹿島神社s-.jpg


神峰公園に徳富蘇峰が揮毫した、日立の創業者久原房之助と小平浪平の顕彰碑がある。
二人とも日立の発展と、今の日本の苦境をどのように見ているだろうか。

20100318日立顕彰碑s-.jpg


田尻では仲之蔵商事の、白壁の蔵と周りを圧する建物が、昔の庄屋を想像させる。
標識に浜街道の文字も現われる小木津宿では、色鮮やかな澳津説神社に参拝。

仲之蔵s-.jpg  20100318澳津説神社s-.jpg


街道は、丘陵を下って小木津浜に出て浜街道の名に恥じない風景となる。

20100318小木津浜1s-.jpg  20100318小木津浜2s-.jpg


川尻集落を抜けて、桜の頃は素晴らしそうな十王川沿いに十王駅に出て日が暮れた。
今の季節は花にはまだ早く、淡々と歩いた一日だった。

20100318十王川s-.jpg  20100318十王駅s-.jpg
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2010年01月18日

岩城相馬街道(その1:水戸宿〜大甕)

水戸街道終了地点には陸前浜街道の起点の碑があって、そこが起点ならば当然その先が辿りたくなるのは、これまた旅人の性。

古来からの名称のように見える陸前浜街道という名前は、実は明治時代に付けられており、今の日本橋から水戸までの水戸街道と、水戸から先の奥州街道との合流点岩沼までの岩城相馬街道と名付けられたもの全体を指している。
ということで、水戸の本町にある起点の碑はやや街道名に疑義ありだが、ともかくも、ここが岩城相馬街道の出発点。

岩沼までは、水戸から220km程度。
歴史的に著名な史跡は少なそうだが、海風に吹かれながらのんびりと歩くのも良さそうだ。

旧町名が曲尺手といわれるあたりを、その名の通りカギの手に何度も曲がっていくと、新舟渡跡の碑があり意外と細い流れの那珂川が。
カヌーイストの好みの川だがそれはもっと上流か。

20100118陸前浜街道碑s-.jpg  20100118那珂川s-.jpg  20100118新進舟渡跡碑s-.jpg


少し街道の雰囲気を残す枝川宿を過ぎると、6号線に合流しもっぱら「日製那珂工場前」などのように日製と略称されている日立製作所の地盤が延々と続く。
日立製作所の日立は日立市の前身の日立村から取られ、日立は水戸光圀が隠居後この地方の山に登り、昇る朝日を眺め「日の立ち上るところ領内一」と言ったからとか。
かなり眉唾だが、常陸国との関係はどうなのか。

今は日立製作所も業績は不振を極め、工場内にある世界一高い200mのEVの試験塔が虚しく目に映る。
国道沿いの、閉鎖されたまま荒れ果てている店が増えているのは、今や日常茶飯事だが、この近辺はかなり有名なチェーン店も閉鎖されたり、撤去中のものが多く、改めて世の不況を痛感する。

20100118枝川宿s-.jpg  20100118EV試験塔s-.jpg


街道沿いには、何故か馬力神の碑が多い。
栃木、茨城には多いようだが愛馬精神が盛んだったのか。

20100118馬力神1s-.jpg  20100118馬力神2s-.jpg

一里塚跡の碑がある佐和宿を過ぎ、さらに石神宿を過ぎ榊橋で久慈川を渡ると、日立市だ。

20100118久慈川s-.jpg


6号線から旧道に入ると、大橋宿手前に立派な旧家があり、大橋宿ではそのものの「大橋宿」というバス停もある。
公民館に再利用されている小学校も何故か懐かしい風景で、小さな宿だが郷愁をそそる。

20101118旧家s-.jpg  20100118大橋宿バス停s-.jpg  20100118小学校跡s-.jpg


急坂の石名坂を上ると、西行の碑が。
西行は奥州へは二度旅をしてるが、何時の時の歌か。

 世の人のねざめせよとて千鳥なく名坂のさとのちかきはまべに 

少し行くと、石名坂の榎があり、説明版には
・・・古来 陸前浜街道は、72年廻り金砂神社磯出大祭礼の祭御神体が水木浜まで渡御される途上、この地石名坂祭場において神事が執行されるに当たり御神輿を安置するための台座となる厳粛な役割を担ってきている。
 72年を経た大榎は修祓執行後、地上1.2メートルから伐採され御神輿を根株の上に安置し天下泰平、五穀豊穣、万民豊楽の祈願祭事が執行される。そして再び榎の若木が72年後の未来に向けて植え継がれてゆく。・・・
と書かれている。

20100118石名坂西行碑s-.jpg  20100118石名坂榎s-.jpg

殆どの人はその木の行く末を見ることも無く、唯切られる為だけに、72年掛けて育て継ぐ人々とその思い。
金砂神社磯出大祭礼は1200年前から執り行われ、第17回目が2003年に催された。
次の2075年には日本が、どの様な国のかたちになっているのかと思いつつ大甕駅で足を止めた。
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