2010年09月04日

中山道・日光御成道-本郷追分

本郷追分は言わずと知れた東大の前にあり、中山道の最初の追分で、昔は駒込追分といわれていた。
丁度日本橋から一里の距離になり、一里塚があった訳だが、今はひっそりとその事を示す案内坂だけが建っている。

今は由緒正しく文京区向ヶ丘一丁目一番地。

角にある高崎屋酒店は、極ありきたりのお店に見えるが、初代の高崎屋長右衛門が宝暦年間(1751〜64)に創業したそうなので、その歴史は驚くほど古い。

20100903本郷追分s-.jpg  20100903本号追分一里塚碑2s-.jpg  20100903本郷追分一里塚碑s-.jpg


ここも歩けば歴史が見えてくる。

写真の右側が幸手宿に続く日光御成道、左が中山道。


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2010年08月23日

中山道・甲州街道-下諏訪宿の追分

下諏訪宿というと、中山道よりは甲州街道の終着点のイメージが強い。

また江戸の方から歩くと当然、追分というよりは合流点のイメージだ。

「綿の湯」前広場が「甲州街道と中山道の合流点」となっており、合流点の碑と、もう一つ問屋場跡の碑を兼ねた甲州街道終点の碑が建てられており、甲州街道として「右江戸より五十三里十一丁」中山道として「左江戸より五十五里七丁 正面京都へ七十七里三丁」の文字が刻まれている。

20060503下諏訪合流碑2s-.jpg  20060503下諏訪追分碑s-.jpg

追分宿とは言われているが、甲州街道が終着点のため分岐の場所自体はそれぞれ先に行く道を暗示するようなY字路でなくて、中山道のほうが京都方向には分岐点から直角に曲がってゆく。

中山道はここから江戸へは和田峠、笠取峠、碓氷峠と三つの峠越えがあり、甲州街道は笹子峠と小仏峠の二つでその厳しさも中山道のほうが大きい。
勿論距離も、甲州街道のほうが短い。
皇女和宮は中山道を使ったが、昔の旅人が京都から下諏訪まで中山道を歩きそこから甲州街道で江戸に出たという記録をあまり見かけないのは何故だろうか。
街道の整備状態が中山道よりも貧弱だっただからという説もあるが、やや頷けない。

分岐点自体の写真を撮っていなかったのは残念だ。
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2010年08月14日

中山道・倉賀野宿−日光例幣使道との追分

中山道には幾つかの目ぼしい追分があるが、これは日光例幣使道との追分。
写真の左側が例幣使道、右側が中山道。

20070515倉賀野追分s-.jpg  20070515倉賀野追分常夜灯s-.jpg


日光東照宮は初め東照社と呼ばれていたが、正保2年(1645)朝廷から宮号を賜り、東照宮と改称され、このことを伝えるため勅使が京都から日光へ派遣された。
以後これに習い、家康の命日の祭礼に「金の幣」を奉じる為に、例幣使が京都の朝廷から毎年一回明治維新まで221年間途切れる事無く続いた。

京を立ってから草津で中山道を経由して、倉賀野で日光例幣使道に入り日光の鉢石宿までを十四泊十五日で行う旅だった。

例幣使は街道で暴虐の限りを尽くしたといわれるが、街道ものをよく手がけていた平岩弓枝の「はやぶさ新八御用旅・日光例幣使道の殺人」などはその辺の事情がよく表されていて面白い。

倉賀野宿の追分には文化10年(1814)建立の立派な常夜灯があり、側面には寄進者として相撲の雷電為衛門、歌舞伎の団十郎の名も彫られている。
なお雷電は善光寺街道の牧家に生まれ、そこには佐久間象山による顕彰碑が建っていた。
何故か街道に縁のある相撲取りだ。

20070515倉賀野追分常夜灯s-.jpg  20070515倉賀野追分常夜灯名前s-.jpg
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2010年08月13日

中山道・追分宿の分去れ

追分の第一回目としてはやはり、その名も中山道追分宿の追分だ。
追分といわずに、分去れというのも格別の風情がある。

ここには分去れ道標や、子抱き地蔵などがあるが、「さらしなは右 みよし野ハ左にて 月と花とを 追分の宿」と刻まれた碑がある。

20070120分去れ1s-.jpg  20070120分去れ2s-.jpg


右は田毎の月の名所の更科を抜けて行く北国街道、左は中山道を経由して花の名所の吉野へ繋がる道となる。

誰が作った歌だろうか、別れを惜しむ追分にその先の景色を「月と花」だけで示しきった見事な歌だ。

中山道を歩いた時は春先で、牛に引かれず歌に惹かれて善光寺街道(北国街道)を歩いた時は冬だった。
その間に5年経っているが、北国街道も善光寺から先の直江津までがまだ残っている事を思い出した。

写真は一枚目:左側の道が中山道、右側の道が北国街道(善光寺街道)
二枚目:北国街道側
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2010年08月10日

追分解題

街道歩きをしていると、知らず知らずのうちに沢山の追分を通り過ぎる事になる。

追分の先には新しい街道があり、その街道はもとの街道に繋がり、もしくは別の終着点へ辿りつき、はたまた次々に分岐、枝分かれして山に入り込み海辺に消えて行く。

これから歩いた街道を振り返って、少しづつ書いてゆくこのカテゴリーは、その数は限られている。

しかし、追分は通り過ぎただけで決して辿られることの無い街道の道しるべであり、同時に辿りたい街道の道しるべでもある。

ある意味では追分は終着点であり、一つの結末なのだが、殆どのものは新しい出発点であり、その先に未知の世界が存在しているように見える。

そう感じ始めて、追分から新たな街道を歩き始めている。
ラベル:街道 歩く 追分
posted by 遊戯人 at 15:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 追分 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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