2011年01月04日

佐倉・成田街道(その2:前原〜成田宿)

年が明けて、成田山新勝寺へ初詣。

前原駅から進むと街道は薬園台駅を通り過ぎ、住居表示は薬園台と薬円台が混在する。
そもそもは江戸時代の薬草園があったことから、薬園台だが、住居表示実施の時に地名の由来を抹殺した薬円台に簡略化され、それに反対する人々が住むところが住居表示未実施地区の薬園台として残っている。
地名ひとつでも、色々ある。

船橋市立郷土資料館の敷地には、明治天皇駐蹕之処の碑がある。
次は自衛隊の習志野演習場の延々と続くフェンス。
昔は陸軍演習場で、明治天皇駐蹕の元、演習が行われ、篠原国幹少将による指揮に感銘した天皇の発言(「篠原を見習え」→習篠原→習志野原)が元となり、習志野と名づけられたと言われるが、篠から志野への転移はかなり怪しげだ。

習志野の名前が有名になったのは、日露戦争での司馬遼太郎の「坂の上の雲」でも描かれた秋山好古の率いる騎兵隊の活躍だが、その史跡はあまり残っておらず、駐屯地内に秋山の揮毫した軍馬慰霊碑がある程度らしい。

20110104明治天皇碑s-.jpg  20110104習志野自衛隊s-.jpg  20110104習志野自衛隊基地s-.jpg


新木戸交差点のガソリンスタンドの角に、その名もおどろおどろしい血流地蔵の道標がある。
一見すると、名前を除いてはどうという事のない道標だが、以前は埋もれていたものを郷土史家の方たちが発掘して日の目を見せたもの。このような活動に敬意を表したい。

20110104血流地蔵道標s-.jpg


この辺は二十六夜塔が多い。比較的目新しいものも多く、いまだに風習が残っていることを窺わせる。
牛魂碑も新しく、街道沿いに昭和50年代まで牛の放牧場があり、その供養と。

20110104二十六夜塔5s-.jpg


大和田宿の長妙寺には八百屋お七の墓がある。お七は今の八千代市で生まれ、母親が遺髪をひそかに運び出して長妙寺の預けていたとか。
中山道沿いの白山の圓乗寺にも墓があり、御成街道の本郷・吉祥寺にも比翼塚がある。
歴史上の有名人なのであちこちに墓があるのは良いのか、悪いのか。

2011010お七の墓s-.jpg


ユーカリが丘の手前には、昔林屋という茶屋があり近くの加賀清水の水で茶を入れて茶屋を商った。
その場所に七代目の市川団十郎が寄贈した常夜灯、道標がある。加賀清水は親水公園となっていた。
初代市川団十郎が成田山に子宝を祈願し無事成就、それ以来団十郎は成田屋の屋号を称したのは人の知るところ。
七代目団十郎は八代目の襲名の後、海老蔵を名乗ったが、天保改革の奢侈禁令に触れ,江戸十里四方追放となった。
昨年マスコミを賑わし今は蟄居している海老蔵は11代目だが、この遺伝子を受け継いでいるようだ。

20110104林屋常夜灯s-.jpg  20110104加賀清水s-.jpg


ユーカリが丘は名前と異なり、中心部は低湿地となっている。
ここはデベロッパーの山万が一手に開発運営している不思議な町で、山万ユーカリが丘線という日本で唯一の純民間による新交通システムも運行されている。
自治体の佐倉市も手出しが出来ない、ひとつの王国だ。

20110104ユーカリが丘s-.jpg  20110104モノレールs-.jpg


手繰橋を渡ると道は、国道から逸れて臼井台へ上って行く。これも何故わざわざ上るのかと不思議な経路となっている。
印旛沼の洪水が再々起こり、この付近が水没することが多かったのでそれを避けるためだろうか。

妙覚寺で雷電為衛門の碑を見る。
雷電は臼井宿の甘酒茶屋の娘おはんを見初めて結婚し、その縁で碑が建てられている。
雷電は善光寺街道の牧家に生まれ、そこには佐久間象山による顕彰碑が建てられている。雷電の力にあやかろうと碑が欠き取られていたが、こちらのほうはまだ無事のようだ。

甘酒茶屋の跡は自動車会社となっていた。

20110104雷電碑s-.jpg  20110104甘酒茶屋跡s-.jpg


京成の踏切を越えたところに道標が集められていて、さくら道と刻まれたものと成田道と刻まれたものがある。
説明板には、佐倉道が古くその後成田街道、成田道と変遷したと記されていた。

20110104道しるべs-.jpg


鹿島川を渡ると、右手が佐倉城址で今は国立民族博物館となっている。2007年8月16日に日本の最高気温が更新されたとき、この博物館を訪れたことを思い出す。
佐倉道はここで終わり、これからは完全に成田街道となる。

海隣寺坂の頂上に見たことのある黒川紀章の佐倉市庁舎があり、見学。(詳細はこちら

20110104佐倉市庁舎s-.jpg


佐倉の総鎮守の麻賀多神社はまだ初詣の人が多い。珍しい名前だが「麻の国で多氏が賀す神の社」ということらしい。
佐倉宿の街道沿いには高札場も復元され、比較的古い建物も残存し、宿場町らしい雰囲気を味わえる。

20110104麻賀多神社s-.jpg  20110104高札場s-.jpg  20110104三谷家s-.jpg


蘭学通りの終わりに佐倉順天堂記念館があるが、休館日で外から眺めるだけ。順天堂は蘭医佐藤泰然が開いた蘭医塾が始まり。
麻酔を危険として用いずに、無麻酔で手術したそうで、背筋が寒くなる。

20110104順天堂記念館s-.jpg


酒々井戸宿に入ると、名前の由来の伝説酒々井の井碑などを見て先を急ぐ。

荷車を後押しする押し屋が活躍したという大坂の竹薮を過ぎると、伊篠の松並木となる。
松喰虫の影響でかなり枯死しているが、この街道で初めての松並木らしい松並木。
ここには成田山参拝の碑や供養塔も林立する。

20110104大坂s-.jpg  20110104大坂s-.jpg  20110104供養碑s-.jpg


とっぷり日も暮れた中を、ようやく成田山のにぎやかな門前町へ。
成田山新勝寺はライトアップされていて、善男善女がまだまだ大勢参拝していた。

20110104成田山門前s-.jpg  20110104成田山山門s-.jpg  20110104成田山本堂s-.jpg

成田街道は本来は、少し先の寺台宿が終着だが新年に免じて許してもらい、交通安全のご利益著しいこの寺に、これからの道筋の安全その他諸々を精一杯祈願して旅を終えた事は言うまでもない。


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2010年12月29日

佐倉・成田街道(その1:新宿〜前原)

成田街道は、佐倉・成田街道とも言われ、水戸街道の亀有宿先の新宿から分岐して成田まで54kmほどの手ごろな街道だ。

成田山新勝寺への初詣を兼ねて、年末年始に歩いてみた。

亀有宿から一度歩いた水戸街道を行き、新宿の出口で細い道に入る。
この辺は、道路の軸線が二つあって、直交しておらず分かり難い。早速道を間違えて柴又帝釈天の参道にご挨拶。

江戸川区にはいると「さくらみち」の碑が立てられている。佐倉道だが、桜に掛けたのか桜の木が多い。

20101229帝釈天s- (1).jpg  20101229さくら道碑s-.jpg


道は江戸川に突き当きあたり、江戸川沿いに辿ると上小岩遺跡通りが現れる。
この道は一度歩いた鎌倉街道下道で、東山道の名残とも言われている。
何の変哲もなくみえる道だが、由緒正しい旧道で、懐かしい。

20101229江戸川s-.jpg  20101229上小岩遺跡通りs-.jpg


京成江戸川駅を越えると昔の御番所町になり、一角に苔むした道標がある。
正面に「左リ 江戸本所ミち 右 せんじゅ 岩附志おんじ道」、岩槻の慈恩寺は御成街道のそばにあり、ここから道しるべがあったほど信仰を集めていたということだ。
傍の宝林寺には、小岩市川の渡しにあった常夜灯が移築保存されている。

江戸川を渡ると、堤防上に市川関所跡の碑が建っている。

20101229慈恩寺道道標s-.jpg  20101229常夜灯s-.jpg  20101229市川関所跡s-.jpg


市川は、繁華な商業都市だが、真間の手児奈を忘れる訳にはいかない。
霊堂や所縁の井戸があるが、街道から少し離れていて歌だけ思い出す。

 吾も見つ人にも告げむ葛飾の 真間の手児名が奥津城処 (山部赤人)

御柱のある諏訪神社を見て、八幡宿に入り葛飾八幡宮。
新年の準備に忙しそうだが、ここには国の天然記念物の見事な千本公孫樹がある。

20101229御柱s-.jpg  20101229葛飾八幡宮s-.jpg  20101229千本公孫樹s-.jpg


葛飾八幡宮の向かいには、水戸黄門も藪に入って神の怒りに触れ失神したという、不知八幡森。

20101229不知八幡森s-.jpg


木下街道の入り口に、初めて旧家らしい旧家の中村邸が現れる。

20101229中村邸s-.jpg


迂闊にも知らなかった、日蓮宗の霊跡寺院大本山の中山法華経寺に立ち寄る。
中山にあるから、中山寺でなくて、中山寺があるので地名が中山。
境内の祖師堂、五重塔、法華堂は見事な造りで、奥まったところに日蓮の自筆の聖典を保存している聖教殿がある。何とこれは伊東忠太の設計で思いもよらぬ所でお目に掛かった。
五重塔は本阿弥光室が両親の菩提を弔うために建立。光室は光悦の甥なので光悦が扁額を書いている理由も納得。

20101229法華経寺祖師堂s-.jpg  20101229法華経寺五重塔s-.jpg  20101229法華堂s-.jpg  20101229聖教殿s-.jpg


光悦の筆になる扁額は祖師堂、法華堂、山門にある。現在のものは復刻しているようだが、見事な筆捌きを見ることが出来る。

20101229山門扁額s-.jpg  20101229法華堂扁額s-.jpg


葛飾湧水群の「二子藤の池」などを見て船橋宿に入ると、古い商家が残っている。
船橋というと、歓楽街のイメージだが昔は成田詣での行き帰りの泊り客のための遊郭があったので、その伝統とか。
船橋の地名の由来は、古代東征の英雄が、海老川を渡ることが出来なかったとき、地元民が小舟を並べて橋の代わりとし無事向こう岸に送り届けたことからと。
この橋は、欄干に船のレプリカが設けられている。

この付近には、他にも海神とか鬼越とか由来が面白そうな地名も多い。

20101229船橋旧家s-.jpg  20101229船橋s-.jpg


船橋宿の出口に船橋大明神があり、ここには木造灯台が残っている。昔はすぐ傍が海で船橋湊の象徴だったわけだが、今は海は遥か彼方に遠のいた。

20101229船橋大明神s-.jpg  20101229船橋大明神灯台s-.jpg


しばらく歩いて、成田街道入り口のT字路には立派な輪宝を載せた道標がある。
今日も思い掛けなく見所が多くて、この辺で短い冬の日もとっぷり暮れ、前原駅で歩き止めた。

20101229道標s-.jpg
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