2010年07月03日

日光御成道(その2:東川口〜幸手宿)

東川口の駅から直ぐに大門宿。
本陣の表門と、まだ住まわれている脇本陣の長屋門が保存されている。較べると格の差を表して微妙に表現が異なっている。

20100703大門宿本陣表門s-.jpg  20100703大門宿脇本陣表門s-.jpg


大門宿を出ると、東北自動道手前の大興寺の葺鐘楼が珍しい。

20100703大興寺茅葺鐘楼s-.jpg


歩いていると「南部領辻」という不思議な地名がある。南部藩の飛び地だったのだろうか。

20100703南部領バス停s-.jpg


街道から外れて見沼代用水の方へ足を伸ばす。
埼玉の緑のトラスト保全第一号地見沼田圃周辺斜面林という地域があり、土地の方が手を竹林の植栽管理に汗を流しておられた。

20100703緑のトラストs-.jpg


国昌寺には開かずの門と、欄間に左甚五郎作と伝えられる龍の彫刻がある。
この辺は何故か伝左甚五郎の彫刻が多いようだ。
境内の市指定天然記念物の、センダンバノボダイジュも珍しい。

20100703国昌寺門s-.jpg  20100703国昌寺龍s-.jpg  20100703ボダイジュs-.jpg


見沼代用水は閘門式運河として日本最古のものといわれているが、今は水緑のヘルシーロードとして整備されていて、良い散歩道になっている。

20100703見沼代用水s-.jpg


街道に戻り膝子一里塚。
町村合併で文化財指定から外されたという情報があったが、後世に伝えてゆくべきものの価値観が行政では正に逆行しているという、寂しい話だ。

2010703膝子一里塚s-.jpg


人形の町岩槻宿に入る。
宿の手前で街道は大きく回りこむ。
昔の川筋でも城郭跡でもなく、昔の崖に沿っているという説もあるようだが理由不明。

町は景観に配慮された街づくりが行われているようで、古いものも適度に残り、新しい建物も町並みを意識した外観となっているのは好ましい。

20100703岩槻郷土資料館s-.jpg  20100703岩槻の商店-.jpg  20100703田中屋s-.jpg


「岩槻に過ぎたるもの児玉南柯に時の鐘」といわれた、時の鐘を見て、旧岩槻城へ足を伸ばす。
ここは運動公園となっていて、面影は殆ど無く、僅かに岩槻城黒門と裏門が移築保存されている。

20100703時の鐘s-.jpg  20100703岩槻城黒門s-.jpg  20100703岩槻城裏門s-.jpg


その名も出口町という所を通って岩槻宿を出る。
元荒川を渡り相野原の一里塚を探す。
この一里塚は道路拡幅で削り取られ、昔はあったという標識もなく、工場敷地の一角に気持だけの姿を哀れにとどめていた。

御成道ではここだけに残るという杉並木が、ふるさとの並木道として残っている。

20100703相馬原一里塚s-.jpg  20100703ふるさとの並木道s-.jpg


埼玉県で唯一両側に残っている下野田の一里塚を見て、次は片側だけの下高野の一里塚を見る。

20100703下野田一里塚s-.jpg  20100703下高野一里塚s-.jpg


岩槻宿を出てからは見ものも少なく、一里塚だけが目当てのような街道だったが、幸手宿の手前で懐かしい日光街道と合流する追分に辿りつく。
これで日光に繋がる街道は、日光街道、日光例幣使道、日光壬生道、そしてこの日光御成道と全て歩き終えた事になる。

20100703日光街道合流点碑s-.jpg  20100703日光街道追分s-.jpg


これからも五街道のあちこちで見た追分を、そこから先へと繋ぎたくなる悩ましい病気に取り憑かれたようだ。


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2010年06月17日

日光御成道(その1:本郷追分〜東川口)

梅雨空続きで、足休めが増えているが、短期間で歩き切れる日光街道の脇街道の日光御成道を半分だけ歩いてみた。

この道は、名前のとおり将軍が日光へ参る折に使われた道で、東大前の本郷追分で日光街道から分岐して、距離は日本橋から幸手で日光街道と合流するまでの50km程度と気楽に歩くにはお手ごろだ。

本郷追別から六義園あたりまでは、驚くほど社寺が多い。まず正行寺の「とうがらし地蔵」、唐辛子風の被り物がユーモラスで、喉にご利益とか。
とうがらし地蔵は他にも、都内あちこちにあるようだ。

南谷寺は江戸五色不動の一つの赤目不動で有名で、今まで街道沿いに目白不動、目青不動を見ているのでこれで三つ目。肝心の不動様は目は赤くないが迫力のある風貌だ。

20100617唐辛子地蔵s-.jpg  20100617目赤不動s-.jpg


立派な山門を持つ吉祥寺には「お七吉三比翼塚」がある。
駒込近辺に社寺が多い訳は、天和・明暦の大火後江戸市中諸所の神社仏閣をこの地に移したからとか。
八百屋お七は天和の大火で焼け出されたのが話の始まりなので、それが塚がここにある理由かと思ったが、井原西鶴が「好色五人女」の中でお七と吉三の出会いの場を吉祥寺としたことがその訳とか。

二宮尊徳の墓も、日本全国にあるが、何故かこの吉祥寺にも存在する。

20100617吉祥寺山門s-.jpg  20100617比翼の墓s-.jpg  20100617二宮尊徳墓s-.jpg


六義園を通り過ぎ、旧古河庭園に立ち寄る。
西洋庭園には薔薇の二番花が咲いていて、日本庭園には菖蒲が彩りを添えている。

コンドルの設計した建物は、旧岩崎邸と違って無骨な石積みの外観だが、敷地のレベル差を生かした庭園と相俟って思いのほかピクチャレスクな景観を創り出していた。

20100617古河庭園s-.jpg  20100617古河庭園日本庭園s-.jpg


飛鳥山公園手前には西ヶ原の一里塚。
渋沢栄一が保存に尽力し、生き残る事が出来た。
都内で残っている一里塚は、志村の一里塚とここだけなので貴重な史跡。

何度か来た飛鳥山公園で、いつも外観だけしか見ていないので気が引ける晩香廬と青淵文庫に御挨拶。

20100617西ヶ原一里塚s-.jpg  20100617晩香廬s-.jpg  20100617青淵文庫s-.jpg


王子の手前の音無橋は御茶ノ水の聖橋と同じRCのアーチ橋で、その構造が美しい。
昭和五年竣工で聖橋は設計は山田守だが、こちらは増田淳。

20100617音無橋s-.jpg


王子を過ぎて暫く行くと、鎌倉街道中道が合流する。というか御成道が昔の鎌倉街道を使っている。
下の写真の右側が鎌倉街道中道。最近は横尾忠則のY字路では無いが追分が気に掛かる。

20100617鎌倉街道合流点s-.jpg


鎌倉街道で歩いた部分を省略して、再び赤羽の宝幢院の道標に対面する。「南江戸道」「東 川口善光寺道 日光岩付道」「西 西国冨士道 板橋道」と刻まれている。
ここは鎌倉街道上道も合流するので、立ち寄ったのは3回目。

20100617宝幢院道標s-.jpg


荒川を渡ると、エルザタワー55がまだ威容を誇っている。
鎌倉橋の碑が荒川の袂の小公園にある。荒川には流石に掛かっていなくてそのそばの小川に掛かっていた橋だそうだが、名を残す。

20100617エルザタワーs-.jpg  20100617鎌倉橋碑s-.jpg


川口宿で数件の古い建物を見ながら、国道に合流。
十二月田という珍しい名前の交差点近くで、味噌醸造業・材木で財を成した田中徳兵衛邸を見学。
大正12年の建物だが、昭和年代の和館も合築されていて、別棟に茶室もある。
色々な催しも行われているようで、建物が活きているのは嬉しい事だ。

20100617田中邸1s-.jpg  20100617田中邸内部1s-.jpg  20100617田中邸茶室s-.jpg


鳩ヶ谷宿は最近設置された立派な街道に碑が設置されている。
街中には古い建物も散見され、史跡の標識も多く、街道が町おこしに役立っているようだ。

20100617鳩ヶ谷宿碑s-.jpg  20100617鳩ヶ谷宿建物-.jpg  20100617鳩ヶ谷宿案内板s-.jpg


鳩ヶ谷宿を抜けるとまた川口市になる。
地図を見ると、鳩ヶ谷市は一部を東京都の足立区に接しているがあとは周辺ぐるりと川口市に囲まれている。
このような市域になっている経緯は色々あったようだが、今は川口市との合併協議が進んでいるそうなので、川口市鳩ヶ谷町になるのも遠い事ではなさそうだ。

鳩ヶ谷宿を越えると見所は少なく、園芸農家の多い地域が続き、程なく東川口駅に着く。
位置的には東川口でなくて北川口が相応しいが、この名称も何故だろうかと思いつつ、駅前のこれも不思議な親子の獅子の像を見て歩き終えた。

20100617東川口駅像s-.jpg
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2010年05月09日

岩城相馬街道(その7:四倉宿〜木戸宿)

四倉宿では道にはみ出した、街道の松が元気。

ちょっとレトロな眼鏡屋さんや、登録文化財の旧四ツ倉銀行なども。
小さな町だが、漁港を控えているせいか、珍しく活気が感じられた。

20100509四倉松s-.jpg  20100509新妻時計店s-.jpg  20100509旧四倉銀行s-.jpg


波立海岸へ抜ける旧道は車一台出会わなかったが、山の中に全く意味不明の高速道路かと思われるような道路工事が行われている。
怒りを越えて、あきれ果てるが、事業見直しでこのまま中止にしてもらたい位のもの。

20100509道路工事s-.jpg


波立海岸の波立寺、弁天岩など。
西行も立ち寄って、傍には碑も建てられている。

 陸奥の古奴美の浜に一夜寝て 明日や拝まむ波立の寺(西行)

20100509波立寺s-.jpg 20100509弁天岩s-.jpg 20100509西行歌碑s-.jpg


久ノ浜宿の諏訪神社の青龍の松は、高さでなくて、長さ14.5m。
盆栽的に設えられて、横へ横へと伸びている。

20100509青龍の松s-.jpg


久ノ浜宿の下水の蓋が不思議な絵柄で、これは近くで発見された有名なフタバスズキリュウをあしらったもの。

町の北にある大久川に掛かる代ノ下橋は美しい木橋だ。こういう形で街道の道筋が残されているのは好ましく、願わくは岩城平宿の夏井川に掛かる鎌田橋も、こうありたかった。

20100509下水蓋s-.jpg  20100509代ノ下橋s-.jpg


末續駅は無人駅だが、躑躅が美しく手入れされている。
あちこちで田植が始まっていて、細かい部分はまだ人力で行われ、何処かで見た懐かしい風景は、今も残っている。

広野宿の北口に北迫地蔵尊があり、天明の大飢饉の餓死者の供養。
この飢饉の供養は東北全域に見られて、そのひどさが推し量られる。

20100509末続駅s-.jpg  2010509田植s-.jpg  20100509北迫地蔵尊s-.jpg


巨大な「道の駅ならは」に嬉しい温泉があったが、残念ながら時間不足で疲れを癒す事が出来ず、ひたすら道を急ぎノスタルジックな木戸駅で旅を終わる。

木戸宿は建設省が選んだ24箇所の歴史国道の一つだが、見学はまた次回。

20100509道の駅s-.jpg  20100509木戸駅s-.jpg
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2010年05月04日

岩城相馬街道(その6:湯本宿〜四倉宿)

湯本宿の温泉は有馬、道後と並ぶ日本三古泉の一つ。
常磐炭鉱の掘削の影響で、一時源泉が枯渇した事もあったようだが、フラガールでも有名な常磐ハワイアンセンターもスパリゾートハワイアンズと名前を変えて復活し頑張っている。

歩く前に、足湯で足に気を入れる。

20100504足湯s-.jpg


温泉神社に矢で作られた珍しい紅白の扇が飾られている。
神主さんの説明だと大国主命が祭神で、大国主命は大地主神とも言われるぐらいで大地に関係があり、土木、建築に係わり深く測量も司ったとか。
そのため、昔の測量の機器に似た形をしているというが本当だろうか。
確かに江戸時代の象限儀に似ていなくもない。

20100504温泉神社s-.jpg  20100504温泉神社扇s-.jpg


街中に童謡館という建物があり、野口有情が数年間、湯本に滞在していた時の所縁のものが展示されている。
磯原の生家の展示館は撮影禁止だが、ここで雨情の書を撮影出来る。
ボランティアで運営されていて、このような取り組みには頭が下がる。

20100504童謡館s-.jpg  20100504足湯s-.jpg


街中には新しい立ち寄り湯の施設などもあるが、ひっそりとして残念ながら活気はない。

20100504さはこの湯-s.jpg  20100504湯本街s-.jpg


国道に合流すると、ウッドピアいわきと石炭化石館がある。あとでここにフタバスズキリュウのレプリカがあることを知るが、パス。

内郷から足を延ばすと、福島県唯一の国宝建造物の白水阿弥陀堂があるがここも以前訪れたたのでパス。
内郷を越えてようやく200kmの道路標識が出る。

20100504ウッドピアいわきs-.jpg  20100504道路標識s-.jpg


いわきの手前で、五里八幡の一つの飯野神社に立ち寄る。重文指定されてるに相応しい豪華さと落ち着いた境内だ。

20100504飯野神社1s-.jpg  20100504飯野神社2s-.jpg


いわきの駅前はスラローム形のコミュニティ道路となっていて、戦災で焼け残った味わい深い建物も見受けられる。

20100504いわき商店街s-.jpg  20100504いわき建物1s-.jpg  20100504いわき建物2s-.jpg

いわき市は昔は平市で、いわきはそもそも岩磐だが、岩城相馬街道の岩城は鳥居忠政が作った岩磐平藩以前の、大名の岩城氏から来ているのでややこしい。

街道筋にそのまま残る人道橋の鎌田橋で夏井川を渡り、磐城平宿を出る。
来迎寺に故曽我十郎祐成 故曽我五郎時宗供養塔。
何故曽我兄弟の供養塔がここにあるのかも不思議。

20100504鎌田橋s-.jpg  20100504曽我兄弟供養塔s-.jpg


キメラのような不思議な桜を見かけたが、よく見ると株が違ってる。
山桜と染井吉野か。

20100504桜s-.jpg


四倉宿に入り、街道から離れて祐天上人の墓がある最勝院を詣でる。
祐天寺上人は増上寺の大僧正も勤め、祐天上人が没した所が東京の祐天寺。

20100504最勝院s-.jpg  20100504祐天上人墓s-.jpg


四倉宿の中心には、注連縄が町中に張り巡らされている。
聞くと、諏訪神社の祭礼で海岸での「神輿中渡御」がこの日に行われたと。
全く知らずに見逃したのは残念だ。

20100504四倉s-.jpg


この、ブロブは何時になく写真が増えてしまった。
ブログのディスク容量の増設が出来る事がわかって、ちょっと気が大きくなったので。
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2010年04月29日

岩城相馬街道(その5:勿来〜湯本宿)

勿来駅前で、源義家の像など眺めて、関田宿に入る。
街道の松を避けて道の方が微妙にカーブして、配慮に感心する。

20100429義家像s-.jpg  20100429松s-.jpg


中田八坂神社の夫婦杉。夫婦杉はあちこち見かけるが、ここはそれが二本並立して珍しい。
安良という集落の、梵字の回国供養塔も珍しい。

2000429夫婦杉s-.jpg  20100429回国供養塔s-.jpg


植田宿では吉田松陰の碑を見物。東北遊学の時に立ち寄っている。
省みて、植田町の道路元標は哀れにも旧郵便局の横に打ち捨てられていて、町の意識を問わず語りに示している。

20100429松陰碑s-.jpg  20100429植田町道路元標s-.jpg


植田宿を抜けると、長寛な田園風景となり他の畦が切られて水の音が耳に優しい。
あちこちで田植えの準備で、豊葦原瑞穂の国の営みが始まっている。

20100429田園風景s-.jpg


JRの線路を渡り、右手からトンネル上部を越えると新田坂の朽ち果てた標識があり、ここからは岩城相馬街道初めての山道となる。
峠には、最近造られた茶屋風の小屋もある。

20100429新田坂碑s-.jpg  20100429新田坂s-.jpg  20100429峠の茶屋s-.jpg


坂を下り終わると、渡辺宿、さらに初田宿。

中部工業団地の入り口に、ちょこんと添えられた一里塚の碑を発見。
足を進めて、上船尾宿入り口にレトロな映画看板。
「映画看板のある風景実行委員会」と言うのがあったそうだが今でも存在しているのだろうか。

20100429一里塚碑s-.jpg  20100429映画看板s-.jpg


湯本宿は日本三古湯の温泉で有名だが、駅前は、ブロンズ通りという名称で何故か色々なブロンズ像があり、温泉と全くそぐわないイメージでで意味不明。
駅前には立寄り湯が見当たらず、せめてもの源泉からのお湯に足湯をする閑もなく、タイミングよく列車が来て飛び乗った。

20100429ブロンズ像s-.jpg
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2010年04月25日

岩城相馬街道(その4:磯原〜勿来)

磯原で野口雨情の生家に立ち寄った。
「十五夜お月さん」「七つの子」「青い目の人形」などの誰でも知っている童謡を作詞した雨情の実家は、土地の名家で父親は村長だった。

実家は今も現存して生活の場として使われており、新築された別館は資料館として公開されている。

その中に見事な筆さばきの書体の六曲の屏風があり、雨情自筆のものという。
晩年は良寛の書を手習いした言い、雨情の字も良寛の字に似て見える。

近くには北茨城歴史民族資料館(野口雨情記念館)があり、入り口の出雲崎の良寛の像に似ている雨情の銅像に近寄るとシャボン玉が迎えてくれた。

20100425野口雨情生家s-.jpg  20100425野口雨情記念館s-.jpg


神岡宿には黒塀の立派な家が多く、門被りの松が多い。昔は女郎屋宿といわれたようだが、粋な黒塀見越しの松。

20100425黒塀s-.jpg  20100425門かぶり松s-.jpg


大津港駅付近で岡倉天心が本拠地にした五浦の方へ寄り道して、六角堂等見学する。
平櫛田中の天心像が幾つか有り、天心よりも107歳まで製作を続けた平櫛の生き様に改めて驚く。
以前見た「男ざかりは百から百から。わしもこれからこれから」の書を思い出す。

直ぐ隣には内藤廣設計の、豪華な茨城県天心記念五浦美術館が建てられていて、天心の所縁のものを見る事が出来る。

内藤廣のデザインは、初期の出世作の海の博物館の転用でスケールに負けていた。
箱物行政の典型だが、良いのか悪いのか。

20100425六角堂s-.jpg  20100425五浦釣人s-.jpg  20100425天心美術館s-.jpg


茨城観光百選に選ばれている平潟港、これもつくば科学万博の時に選定されているので遠い昔の物語。

20100425平潟港s-.jpg

来るなかれ、の勿来の関に立ち寄る。
源義家の
 吹風を勿来の関とおもへども 道もせにちる山桜かな

一帯は公園となっており、歌碑が散策路に設けられている。
全く場違いで豪華な、吹風殿という体験学習施設が作られていて、これは今度は福島県の箱物行政の極みということになる。

20100425勿来の関s-.jpg  20100425勿来の関碑s-.jpg  20100425吹風殿s-.jpg


帰りの道はまだ桜が満開で、紀貫之の歌のように行く春を惜しめたか。

 惜しめどもとまりもあへず行く春を 勿来の山の関もとめなむ 
            
20100425桜s-.jpg
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2010年04月06日

岩城相馬街道(その3:十王〜磯原)

十王駅から街道へ戻るが十王川の桜はまだ蕾。

歴史の道百選にも選ばれている十王坂は、解説の碑がある訳でもなく上り口の住人を失った廃屋が侘しく迎えてくれる。

20100406十王川 s-.jpg  20100406十王坂廃屋s-.jpg  20100406十王坂s-.jpg


愛宕神社の灯篭が珍しい形で、明和九年の年号も「迷惑」で直ぐ改元されたとか。

20100406愛宕神社灯篭s-.jpg


これも珍しい名前の、びんずる坂の手前の立派な高萩工業高校は廃校となって門が閉ざされている。春に桜は空しく咲くか。
びんずる坂は賓頭盧尊者の由来か不明。

20100406高萩工業高校s-.jpg


坂を降り切ると立派な煙突が遠望できる。
ここは日本加工製紙高萩工場だったが、2002年に茨城県下で最悪と言われる倒産劇を演じそのまま放置され、工場は廃墟と化している。。

20100406煙突s-.jpg


安良川宿の街には立派な薬医門を持つ建物も見受けられるが、街には活気は全く感じられず、高萩駅からのメインストリートにも人影は見当たらない。

20100406安良川宿豪邸s-.jpg   20100406安良川宿s-.jpg


高萩市の指定文化財になっている、安良川宿に唯一残っていた松は今の市の姿を象徴するように、枯れ果ててしまっていた。

20100406安良川宿松s-.jpg


県北各地に残るもののうちで最大のものという馬頭観世音碑。
確かに大きい。

20100406馬頭観音s-.jpg


途中工業団地で道に迷うが、赤浜へ。
ここは、実査こそしなかったものの伊能忠敬よりも早く日本地図を作った長久保赤水の生誕の地で、墓に詣で、今も残る旧宅を拝見する。

20100406赤水碑s-.jpg  20100406赤水墓s-.jpg  20100406赤水旧宅s-.jpg


足洗宿は特段見るべきものもなく、少し早いが例によって人の気配の全く見えない、駅前商店街が控える磯原駅で歩き終えた。

20100406磯原商店街s-.jpg
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2010年03月30日

伊能忠敬

街道:特に面していないが、近場と言えば日光街道
場所:源空寺(東上野)
 
20091101伊能忠敬墓s-.jpg

伊能忠敬:延享2年(1745)〜 文化15年(1818)

知らぬ人のない、歩く巨人。測量のために歩いた距離は4万kmとも。
56歳から前後10回にも亘る測量の旅を実施し、日本全国の地図を大日本沿海輿地全図として完成させた。

師は高橋至時であり、忠敬は師を敬うこと篤く遺言により至時の墓の隣に葬られている。

さらに至時の墓の左隣には、幡随院長兵衛の墓もあるのがご愛嬌。

つい先日、文化審議会から佐原にある伊能忠敬記念館の伊能忠敬の地図や文書などを国宝にとの答申がされた。
墓の中の伊能忠敬も喜んでいる事だろう。
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2010年03月21日

歴史国道

旧建設省(現国交省)が、1995・1996年に歴史上重要な幹線道路として利用され、国として特に重要な歴史的・文化的価値を有する道路を「歴史国道」として選定していたことを知る。
歴史街道でもなく歴史古道でもなく、歴史国道という名称が、いかにも国の事業らしい押し付けがましさだ。

選定に伴って整備事業も行われたようだ。
一体いくら予算化されたのか不明だが、街道歩き派としては、こういうところにも目配せがあったかと少し感心する。

No   名称・所在地
1 札幌本道「赤松街道」 北海道函館市〜七飯町
2 奥州街道(七戸)松並木 青森県七戸町〜天間林村
3 羽州街道「楢下宿」 山形県上山市
4 浜街道「木戸宿」 福島県楢葉町
5 三国街道「須川宿」 群馬県新治村
6 中山道「追分宿」 長野県軽井沢町
7 北国街道「出雲崎宿」 新潟県出雲崎町
8 北陸道「倶利伽羅峠」 富山県小矢部市〜石川県津幡町
9 東海道「岩淵間宿〜由比宿」 静岡県富士川市〜由比町
10 東海道「藤川宿」 愛知県岡崎市
11 東海道「関宿」 三重県関町
12 中山道「馬籠宿・妻籠宿ほか」 長野県山口村〜南木曽町ほか
13 若狭街道(鯖街道)「熊川宿」 福井県上中町
14 竹内街道「竹内宿」 大阪府太子町〜奈良県当麻町
15 熊野古道(なかへちみち) 和歌山県中辺路町
16 出雲街道「新庄宿」 岡山県新庄村
17 石見銀山街道「上下宿」 広島県上下町
18 岩見銀山街道「天領石見銀山」 島根県太田市〜温泉津町
19 撫養街道 徳島県脇町
20 梼原街道 高知県梼原町
21 日田往還 大分県日田市
22 長崎街道「日見峠」 長崎県長崎市
23 薩摩街道「大口筋(白銀坂)」 鹿児島県姶良町〜吉田町
24 国頭方西街道 沖縄県恩納村

このうち七箇所は歩いた事があるが、事業としてどのような整備がなされていたのか殆ど印象にない。
僅かに出雲崎宿の道の舗装が、風景に似合わない黄色になっていたことを思い出すが、それがそうだったのか。
もしそうならば、要らぬお世話と言いたいところだ。


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多分現地に行くと、何処かに「歴史国道整備事業で云々」という表示があるのだろうか。これからこれらの道を歩くことがあれば気にしてみよう。
ラベル:歴史国道
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2010年03月18日

岩城相馬街道(その2:大甕〜十王)

大甕駅から街道に戻り、大甕神社に再度の参拝。
右手にこの街道で始めて海が見え、浜街道らしくなるが、しばらくは6号線沿いに、面影のない森山宿などの単調な道が続く。
豪邸多し。

20100318海s-.jpg  20100318森山宿豪邸.JPG


常陸多賀駅の手前で旧道に入り、ここにも出桁造りの立派な旧家や昔懐かしい姿の商店のある道筋を通る。

20100318旧家s-.jpg  20100318かど屋s-.jpg


下孫宿という名称は消失し、僅かにバス停に旧道の名があるのがせめてものよすが。

20100318旧道バス停s-.jpg


水戸九代藩主徳川斉昭が造らせた、助川海防城の碑が助川小学校入り口に。

20100318助川城碑s-.jpg


企業城下町日立市の中心部の助川宿の商店街は、電柱が地中化されていてスッキリしているが、街道の名残はない。
この地方の神社の注連縄が、独特の形だがどのような由来か。

20100318日立商店街s-.jpg  20100318鹿島神社s-.jpg


神峰公園に徳富蘇峰が揮毫した、日立の創業者久原房之助と小平浪平の顕彰碑がある。
二人とも日立の発展と、今の日本の苦境をどのように見ているだろうか。

20100318日立顕彰碑s-.jpg


田尻では仲之蔵商事の、白壁の蔵と周りを圧する建物が、昔の庄屋を想像させる。
標識に浜街道の文字も現われる小木津宿では、色鮮やかな澳津説神社に参拝。

仲之蔵s-.jpg  20100318澳津説神社s-.jpg


街道は、丘陵を下って小木津浜に出て浜街道の名に恥じない風景となる。

20100318小木津浜1s-.jpg  20100318小木津浜2s-.jpg


川尻集落を抜けて、桜の頃は素晴らしそうな十王川沿いに十王駅に出て日が暮れた。
今の季節は花にはまだ早く、淡々と歩いた一日だった。

20100318十王川s-.jpg  20100318十王駅s-.jpg
posted by 遊戯人 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 岩城相馬街道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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